ヒトラーに関する 意外な真実TOP10




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ノーベル平和賞にノミネート

ヒトラーは1939年、
ノーベル平和賞にノミネートされたことがある。

もちろん受賞はしていないが、
ノミネートされること自体驚きである。
なぜそうなったのか。

ノーベル平和賞はスウェーデンと
ノルウェーによって選考される。

当時スウェーデンはナチスなどの
ファシズム国家に「反対」
の国家であったことが背景にある。

そのスウェーデンの国会議員
エリック・ブラントという人物が、
ヒトラーを皮肉るために、ノミネートしたのだそうだ。

若いころ画家を目指していた

ヒトラーは若いころ、画家を目指していた。

そのためオーストリアのウィーン美術アカデミー
という多くの芸術家が輩出された学校を受験したのだが、
2度も落ちてしまった。

受験失敗後は貧しい絵葉書描きに落ちぶれた。

このことが美術教育に強い復讐心を持つ
きっかけとなったと言われている。

後に独裁者となり「退廃芸術追放運動」
という近代芸術を禁止する運動を展開し、
よりわかりやすい芸術を推進した。

ダッチワイフの開発をした。

ドイツ軍がパリに侵攻した時、問題が起きた。

パリには売春婦が多く、
兵士が売春婦から性病をうつされるという問題だ。

そこで、ヒトラーは親衛隊に、
軽くて持ち運びやすい
本物の人間のような造形をした人形、
今で言うダッチワイフを作るように指示した。

このミッションはボルグヒルド・プロジェクトと言われ、
トップシークレットのミッションとされていた。

計画は進み、実用化の直前まで漕ぎつけたのだが、
戦争中だったため予算が用意できず、
お蔵入りとなってしまった。

初恋相手はユダヤ人。

ヒトラーが16歳の時に恋をしたのは、
ステファニー・アイザックという
ユダヤ人の女性だった。

気弱なヒトラーは彼女と話すこともできず、
妄想ばかりしていたという。

しかも、「彼女を誘拐して駆け落ちし無理心中する」
という妄想をしていたそうだ。

禁煙キャンペーン

実はヒトラーは、禁煙キャンペーンを
初めて民衆に行った指導者なのである。

その禁煙キャンペーンの内容は
公共の場での禁煙を禁止し、
たばこ税を大幅に引き上げるというものだ。

さらに、健康に有害であることを教育し
広めることに努めた。

この内容を見ると、日本で行われている禁煙キャンペーンも
ナチスが行ったものと同様に見える。

動物愛護法を制定

ヒトラーが政権をとったのち、
動物保護法が定められた。

人間のために動物はあるのではなく、
それら自身のために存在するという立ち位置の法律で、
人間と動物は同等に扱う、という法律だ。

この法律では動物に虐待をしたり、
苦しい思いをさせたりすることを禁止した。

ちなみに、今でもドイツの民法には
「動物はモノではない」と明記されている。

これに対し、日本の法律ではペットなど
動物をモノとして扱う。

ペットを殺せば器物損壊なのだ。

溺れて死にかけたことがある

ヒトラーが4歳のころ、
氷の張った川で遊んでいる途中に
落水し溺れてしまった。

ヒトラーと同い年で、一緒に遊んでいた
キューゲルガー少年が彼を助け、
ヒトラーは一命を取り留めた。

キューゲルガーは大人になって牧師になり、
このことは口外してこなかったが、
彼の死後に牧師仲間の告白で公となった。

「人命を救った行為に後悔はないが、
自分があの場にいなければ何百万人の命が救われていた」
と苦悩していたそうだ。

2度も命を救われる

第一次世界大戦中、
英国軍人が傷を負ったヒトラーの命を救った。

この英国軍人はヘンリー・タンディー
という英国では有名な軍人である。

彼は騎士道精神を持っており、
戦場で負傷し、武器を持っていない敵兵は撃たない主義だった。

ヘンリーは、第一次世界大戦中に負傷した
ドイツ兵を撃たなかったことがあるのだが、
それが青年時代のヒトラーだったそうだ。

このことは、後にヒトラー本人が
イギリスの首相と会談をしたときに語っている。

睾丸が一つしかなかった。

ヒトラーは第一次世界大戦中に負傷し、
睾丸を一つ失ったという都市伝説がある。

しかし、実際、睾丸は2つあったのだが、
一つが腹部にある停留精巣という病気だったそうだ。

通常なら、生まれるまでに
腹部から袋に睾丸が下りてくるのだが、
何らかの原因で腹部にとどまってしまう病気だ。

1923年に記録されているヒトラーのカルテに
「右睾丸が腹部にある」とはっきりと記載されていたそうだ。

薬物とチョコレート中毒だった

ヒトラーが毎日摂取していた薬の内容が書かれた
主治医のカルテが残っている。

 

そこに「メタンフェタミン」という、
いわゆる覚せい剤が含まれていた。

しかも、この薬物はナチスの兵隊にも配られており、
活力がみなぎることから
「奇跡の薬」
などと言われ重宝されていた。

また、ヒトラーはチョコレートも
中毒と言えるほど摂取していた。

その量は1日に750グラム。

これは板チョコ約13枚だ。

強制収容所を一度も訪れなかった。

歴史上もっとも被害者を出した
ホロコーストが行われたドイツ各地の強制収容所。

実はヒトラー自身がこれらの強制収容所に
行ったことは一度もない。

さらに公の場で語ったことも一度もない。

残虐な行為にかかわっている事実から目を背け、
書面に残す事もしないようにしていたのだ。




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