海は広大な世界で飛行機や人々や船さえも飲み込む。なぜ巨大な船は難破したのだろう?
最もミステリアスな船舶事件をご紹介しよう。さぁ一緒に謎を解こうではないか。
1、SSベイチモ号

SSベイチモ号は、極寒の北カナダ地域でイヌイット族との食料の交易に使われていた。
1931年10月8日、氷河に挟まり動けなくなったため、15人の船員は船から降り、氷河の上に木の小屋を建て、助けを待った。
11月24日、吹雪に見舞われた船が突如として姿を消したため、沈没したかと思われていた。
しかし数日後、ベイチモ号は72キロ先で目撃された。その後も放置され最後にベイチモ号が目撃されたのは、失踪から38年後の1969年、アラスカ沖だ。
アラスカ州政府がベイチモ号の捜索プロジェクトを立ち上げたが、いまだに見つかっていない。
2、ディミトゥリオ号

ギリシャのイシオビーチに今でも放棄されており、有名な観光スポットとなっているディミトゥリオ号。
ディミトゥリオ号は1950年に60メートルの貨物船として作られた。作られた国はわかっていない。
トルコとイタリアの間でたばこの密輸の為に使用されていたのではないかと推測され、その証拠を隠すために火をつけられたと言われている。
この船は1980年、船長が体調不良だったことと船員の金銭問題によりこの場所に放棄されたようだ。
3、カズII号

2007年、オーストラリアの海岸で3人の男性が「カズⅡ号」でボート旅行をしていた。
しかし、出発から3日後、カズII号はグレートバリアリーフで漂流しているのが発見された。
船内は何もかもが整っていた。パソコンもしっかりテーブルの上に置かれており、ライフジャケットもフックにかけられていた。
おそらくだが1人の男性が海に落ち、2人の男性がそれを助けようと海に入り溺死してしまったのだろう。
4、ハイエイム6号

ハイエイム6号は2003年オーストラリアの海岸沖で船員が居ない状態で発見された。
発見された際、この台湾船には腐った魚、船員の持ち物と燃料、食料が積まれたままだった。
船員の携帯電話にはインドネシアからの着信履歴が表示されたままだった。
船員の一人が捕らえ、事情聴取したところ船長と船員が殺害されたと白状したが、それ以上のことは語っていないという。
5、MVホイータ号

MVホイータ号は「沈まない船」と言われていたが、1955年消息を絶った。
失踪5週間後、船は半分ほど沈んだ状態で発見された。すべての荷物、救助ボートはなくなっており、血の付いたバンドエイドのみが残されていた。
乗員は発見されず、キャプテンは殺害されたか怪我をしたのではないかと思われる。
そのため乗員たちは船を放棄し救助船で避難するも海で遭難してしまったのではないかと考えられている。
6、キャロルAディーリング号

1921年1月、キャロルAディーリング号はノースカロライナ州のハタラス・ダイアモンドの浅瀬で発見された。
船は沈んでおらず、船内はこれから食事の準備をすることがうかがえる状態で放置されていた。
しかし、それを食べるはずだったであろう11名の乗組員がどこにもいないのだ。
それだけではなく、救助ボート、航海日誌、避難器具、ナビなど、すべてがなくなっていた。
船は同じ年の3月まで浅瀬にいたが、最後には海の底へと沈んでいった。船員は発見されずこの話はミステリーのまま残っている。
8、ワールドディスカバー号

1974年、ドイツで作られたワールドディスカバー号南極への氷山クルーズなどに用いられた客船だ。
2000年、この87メートルもの船はソロモン諸島のサンゴ礁に打ち上げられて以来そこに留まったままだ。
住人は政府に処理するように要求しているが、未だに処理されず、今では人気の観光スポットになっている。
この船は海岸にとても近いため、船内は日々盗難の被害にあっているそうだ。
9、ザ・ゴーストフリート(軍艦の墓場)

カリフォルニア州のスイスン湾にはザ・ゴーストブリーフという軍艦のお墓があり、船達は修理や解体されるのを待っている。
それぞれの船の歴史は分かないが、第二次世界大戦で使用されたものが多いそうだ。
それぞれの船がそれぞれの歴史を持っている。
10、SSアメリカ号

1940年、SSアメリカ号は世界を回る豪華客船として出港した。
造船から53年がたち、現役を退くことになったSSアメリカ号は第二の人生をタイで“海に浮いたホテル”として歩みだすことになった。
タイに向かうためにギリシャを出港したが、途中のアフリカ大陸北西のカナリア諸島沖で座礁してしまった。
船はカナリア諸島のフエルトベントゥラ島に放棄され、2007年頃までに崩壊、沈没した。
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