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最も大規模な 建造物崩壊7選

7、シルバーブリッジ

1967年12月15日、ウェストバージニア州とオハイオ州を結んでいたシルバーブリッジが突如崩壊しました。

 

この時、橋の上には31台の車がいましたが、全ての車が橋と共に落下しました。

 

落下した人たちは車内で溺死するか落下の衝撃で死亡するかのどちらかかが原因で亡くなっています。

 

丁度クリスマスの買い物でにぎわう時期だったため、46人もの人が事故に巻き込まれることとなってしまいました。

 

崩壊の理由は橋の北側の橋を支える部品の一部に負荷が集中してしまったことで、その部分から崩壊してしまったそうです。

 

6、カトヴィツェ展覧場

2006年1月28日、ポーランドにあるカトヴィツェ展覧場という建物で見本市が行われていました。

 

その日、周辺は大雪が降っており、かなりの量の雪が積もっていました。

 

この展覧場の屋上にもたくさん積もり、ついには重さに耐えきれなくなった屋根が崩落してしまいます。

 

この事故で、中にいたおよそ700人の人たちが雪と屋根のしたに生き埋めにされてしまいました。

 

救助隊が駆け付け、救助が行われましたが65名が死亡、170名が負傷する大事故(だいじこ)となってしまいました。

 

平常時でも積雪の多いポーランドなので、必要以上に耐荷重量を多めに見積もっておくべきでした。

 

5、ロータス・リバーサイド

2009年6月29日、中国、上海の川沿いに建てられた高層マンション群のロータス・リバーサイドで事故が起きました。

 

このマンションは13階建てで、頑丈であることを売りにして販売されていました。

 

しかし、大雨で地盤が緩んだだけで、パタリと倒れてしまい、一人の作業員が亡くなってしまいました。

 

建物自体は倒れても原型を維持していましたが、基礎部分は、お粗末としか言いようがない作りになっていました。

 

これでは、倒れてしまうのも無理はありませんね。

 

4、ケンパー・アリーナ

1979年6月4日、アメリカ・カンザスシティーを大きなハリケーンが襲いました。

 

このハリケーンはこの街に凄まじい風と雨をもたらしました。

 

これにより、ケンパー・アリーナというスポーツ会場の屋根が崩落する事故が起きました。

 

幸い、アリーナの中には誰もいなかったので被害者はいませんでした。

 

原因は屋根の中心部に巨大な水たまりができてしまい、それに耐えきれなくなった屋根が落ちてしまったそうです。

 

3、ホテルニューワールド

1986年3月15日、シンガポールの「ホテル・ニューワールド」が倒壊する事故が起きました。

 

この日の午前11時27分頃、わずか60秒もかからずにこの建物は跡形もなく崩壊しました。

 

崩壊の直前には、地震のような大きな揺れが起きたそうです。

 

当時は今よりも建築基準が甘かったため、このような強度不足のビルでも建築することができたようです。

 

残念ですが、崩壊するのは当然の作りだったそうです。

 

2、三豊百貨店(サンプンひゃっかてん)

1989年、韓国のソウルに5階建てのデパート、三豊百貨店が建設されました。

開店から5年後の1995年6月29日17時57分、このビルは両端を残して跡形もなく崩壊してしまいます。

営業中だったこともあり、死者502名・負傷者937名・行方不明者6

という大惨事となってしまいました。

崩壊の原因は、建設途中での設計変更によって、建物の強度を大きく失ってしまったことでした。

ある程度できていた時点で設計変更となり、ビルの中心部分の柱の4分の1が取り除かれました。

さらに、デザイン性を高めるために吹き抜けにしたことで、強度が著しく失われてしまいました。

これらが要因となって、ビルの真ん中部分だけが抜け落ちるという事故が起きてしまったのです。

1、ラナ・プラザ・ビルディング

歴史的にも最も死者の出た建造物崩壊事故はバングラデシュの首都ダッカにあったラナ・プラザ・ビルディングの崩壊事故です。

 

このビルは、巨大な発電機と多数のミシンを使用する縫製工場から商店、銀行までありとあらゆるテナントが入居していました。

 

そのため、最初に建築されたビルに無理やり3階を付け足して9階建てにして使用していました。

 

2013年4月24日、いよいよ建物が限界を迎えてしまい、凄まじい勢いで崩壊してしまいました。

 

その兆候は崩壊の前日、ビルの壁のアチコチに、大小の亀裂となって現れていました。

 

ビルの管理業者から、オーナーやビルに入っていた衣類工場の責任者らに「使用を控えるように」と警告があったにも関わらず、それを無視し営業していました。

 

そのため、衣類工場や商店などで働いていた人の多くは崩壊当日も危険なビルで働いていました。

 

労働者の多くは大きな亀裂を目にして、働くことを拒んだそうですが、強制的に働かされたそうです。

 

その結果、死者1127人、負傷者2500人以上という歴史的に最も大きな崩壊事故が起きてしまいました。

 

この事故によりバングラデシュの労働者の過酷な労働環境が改善されるかと期待されましたが、未だに大きな変化はないそうです。

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