5、レッド・フォックス
レッド・フォックスさんは、1922年生まれのアメリカのコメディアンでレジェンドとも言える人でした。
コメディアンのクリス・ロックさんやハリウッドスターのジェイミー・フォックスさんなどの有名人も、レッド・フォックスさんの影響を受けていると言われるほどの人物です。
ちなみにジェイミー・フォックスさんの綴りが「FOXX」なのは「Redd FOXX」さんの綴りにちなんでいるそうです。
1991年10月11日、レッドさんはロイヤルファミリーというテレビ番組のスタジオ撮影をしていました。
スタジオにはレッドさんを一目見ようと多くの観客が訪れていました。
番組の収録が始まる少し前に観客の前でリハーサルが始まりました。
するとレッドさんはリハーサルの途中で、急に倒れ込みました。周りの人は一瞬彼がふざけているのだと思いました。
しかし、彼の切迫した表情を見て演技ではないと気づき、すぐに病院に運ばれました。
しかし、その日の夜、彼は亡くなってしまいました。享年68歳でした。
4、スティーブ・アーウィン
オーストラリア人のスティーブ・アーウィンさんは動物園経営、環境保護運動などをする活動家でした。
また、人気テレビ番組「クロコダイル・ハンター」でホストを務めていて、日本の「世界まる見え!テレビ特捜部」や海外の番組で紹介されていました。
そのため、オーストラリア国内で世界一有名なオーストラリア人と言われていました。
先述のテレビ番組「クロコダイル・ハンター」や動物園でワニと触れ合うスリリングなパフォーマンスが人気でした。
2006年9月4日スティーブさんと撮影クルーは「海の危険動物」のドキュメンタリー番組撮影のためグレートバリアリーフを訪れました。
その撮影中にスティーブさんはアカエイに刺されてしまいました。
アカエイには毒があり、人間が襲われることはとても多いのですが、死に至ることは稀だと言われています。
しかし、スティーブさんはアカエイの毒にアレルギー反応を起こしてしまい、心臓発作で即死してしまいます。
彼がアカエイに刺された瞬間は撮影されたそうですが、遺族の希望により公開されることはありませんでした。
その事件はすべてフィルムに収められていましたが、妻や家族の要請により、映像は決して公開されませんでした。
3、ブランドン・リー
ブランドン・リーさんは言わずと知れた武道の達人でありハリウッドスターのブルース・リーの息子さんです。
彼は幼少期から父に格闘技を教わっていました。大学卒業後には父親と同じ俳優の道を歩み始めます。
彼のデビュー映画もまたカンフーもので「ブランドン・リーのカンフー・ファイター」というものでした。
1993年、彼が28歳の時「クロウ」という映画を撮影中のことです。
敵との戦闘シーンで、相手が44マグナム・リボルバーを発砲してくるというものがありました。
映画ですので、もちろん空砲くうほうが撃たれることになっていました。
しかし、スタッフの手違いで弾頭が銃身の中に残ってしまっていたために、それが発射されてしまいます。
残念なことに、その弾はブランドンさんのお腹を貫通してしまいます。
すぐに病院に運ばれ、6時間に及ぶ手術が行われましたが、その甲斐虚しく彼は亡くなってしまいました。
彼はシアトル・レイクビュー墓地にある父親のお墓の隣に埋葬されました。
ブランドンさんの遺作となった「クロウ」は撮影済の分にCGなどが加えられ、公開されました。
2、カール・ワレンダ
ドイツ出身の曲芸師であるカール・ワレンダさんは、綱渡りの名人で命綱を使わないパフォーマンスが得意でした。
彼は若い時から綱渡りの芸を始めていて、何十年もこの技でこれをやり始め、何年も無事にそれを続けました。
1960年には、彼が65歳の時にタルーラ渓谷の断崖絶壁に掛けられた400メートルほどの綱を命綱なしで渡り切り伝説を作りました。
1978年3月22日、彼が73歳の時、プエルトリコのサンファンにあるコンダド・プラザ・ホテルで、2つの建物の間に吊り下げた綱を渡ることに挑戦しました。
その日は風速13メートルの強風が吹いていたため、風でバランスを失った彼は、高さ37メートルから落下してしまいました。
即死でした。この様子の一部始終はプエルトリコのテレビ局が撮影していました。
2011年、彼のひ孫のニック・ワレンダさんが、同じ場所での綱渡りを成功させ、ひいおじいさんの遺恨を晴らしました。
1、ジョン・リッター
アメリカ人のジョン・リッターさんは1977年から84年まで続いたTV番組「スリーズ・カンパニー」で主演し、数々の賞を受賞する人気俳優でした。
2002年から始まったドラマ「パパにはヒ・ミ・ツ」でも主演し、順調に俳優人生を歩んでいました。
2003年9月11日に行われた「パパにはヒ・ミ・ツ」の収録中、彼はときどき胸が痛むと言っていました。
すると、収録中に突如、倒れ込んでしまいスタッフに病院に運ばれました。
大動脈解離と診断され、すぐに手術が行われましたが、そのまま帰らぬ人となってしまいました。
その後、彼の追悼番組が放映され、番組はその日に放映されたどの番組よりも高い視聴率で全米で1600万人以上が視聴したそうです。
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