5、エマニュエル・ヤーブロー
1995年の世界相撲選手権大会無差別級で優勝したエマニュエル・ヤーブロー選手。
彼は元大関の小錦さんよりも体重が重いことで、当時話題になりました。
当時、小錦さんの公式体重は275キロでしたが、ヤーブロー選手の体重は300キロを超えていたのです。
身長も、小錦さんの187センチに対し、ヤーブロー選手は203センチでした。
彼は1994年にUFC大会に出場し、その後PRIDEのリングにも上がりました。
格闘家としての戦績はそれほど華々しいものではありませんが、
格闘家として活躍したころに体重が400キロに到達したことで、世界一体重の重いアスリートとしてギネスブックに認定されました。
4、セミー・シュルト
日本ではK-1ファイター「セーム・シュルト」として有名なセミー選手。実は正しい発音は「セミー」だそうです。
彼は、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、ジェロム・レ・バンナといったK-1のレジェンド・ファイターにも勝利したことがある超一流の格闘家として有名です。
極真空手をバックボーンにした立ち技の試合だけでなく、総合格闘技にも挑戦して輝かしい戦績を残しました。
しかし、2013年に心臓病のために引退しました。
セミー・シュルト選手の強みはその身長にありました。
212センチという長身で、ピーター・アーツ選手と並んでも、ほぼ頭一つ分セミー選手のほうが高かったほどです。
また、彼の手は非常に大きかったためパンチ力もとても強かったそうです。
最近、またK-1が盛り上がってきていますが、彼のようなすごいファイターがK-1を盛り上げていたこともお忘れなく。
3、ジャイアント・シルバ
バスケットボールからプロレスに転向し、その後総合格闘家になったジャイアント・シルバ選手。
彼は身長219センチの文字通りの巨人です。
バスケットボール選手時代にはブラジル代表としてオリンピックに2回出場した経歴を持つ異色の格闘家です。
シルバ選手をスカウトしたのはアメリカのプロレス団体WWF(現在のWWE)で、
同団体はコーチにドリー・ファンク・ジュニアをつけるほど、彼のポテンシャルを買っていました。
WWFを退団した後、シルバ選手は日本に来ることになるのですが
彼を日本に呼んだのは、良い外国人選手を見極める目を持つことで知られる蝶野正洋さんでした。
その後、シルバ選手は総合格闘技に転向したのち、プロレスのリングへと戻りました。
彼の巨体は総合格闘技よりもプロレスのリング上で、より輝きを放っていたと言えるでしょう。
2、チェ・ホンマン
チェ・ホンマン選手は、身長218センチ、体重160キロの巨人です。
朝鮮半島の相撲、シルムで横綱に相当する地位にたどり着いた経歴を持つ格闘家です。
格闘技転向後に主戦場としていたK-1の試合では、彼の繰り出す膝蹴りが対戦相手の顔に当たる一方、
相手のパンチを顔面に受けることは少なく、並の格闘家との体格の違いを見せつけました。
一時期は飲食店を経営し、詐欺容疑で逮捕されるなどして格闘技からは離れていましたが。
しかし、近年では興行収入の一部を、難病に苦しむ子供たちに寄付することを目的とした格闘技団体「エンジェルス・ファイティング」のリングに立っています。
彼は「難病に苦しむ子供とその家族の助けになりたいと思い、格闘家人生最後の舞台に決めた」と語っています。
1、モンターニャ・シウバ
「アマゾンの大巨人」というニックネームでK-1に参戦したブラジル出身のモンターニャ・シウバ選手。
彼の身長は225センチと、桁外れな大きさでした。
彼は15歳の頃にはすでに身長が2メートルを超えていたというから驚きです。
モンターニャ・シウバは超大型選手としては珍しく、動きが速い上に、使える技も豊富なことから、評価の高いK-1ファイターでした。
また、試合のたびに成長した姿を見せつけ、将来を有望視されていました。
ところが、2003年に武蔵選手と戦ったシウバ選手は、突如マウントパンチを繰り出し武蔵選手を失神させてしまいます。
K-1は立ち技の格闘技ですから、当然反則負けとなり、K-1から永久追放も叫ばれました。
しかし、反則で失神させられた武蔵選手が強く再戦を望んだため、2か月後に再戦が行われます。
この試合では、武蔵選手が判定勝ち。その後もシウバ選手はK-1に残留し合計6試合に出場し2勝を上げました。
現在は主戦場をIGFというプロレスに団体に移し、小川直也選手に勝利するなどの活躍を見せています。
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