5、IKKO
美容家でタレントのIKKOさんは2010年にテレビ番組の中でパニック障害に苦しんでいることを告白しました。
ある日突然、動悸とめまいに襲われ、体中の力が抜けてしまったそうです。
不安感にとらわれて息ができなくなり、顔面麻痺に陥ったと話していました。
最初の発作が起きて以来、IKKOさんがめまいから解放されることはありませんでした。
また、いつまた発作が起きるかわからない不安から、毎晩救急病院を探し回るような毎日を過ごしたといいます。
原因はヘアメイクアップアーティストとして独立したことによるストレスだそうです。
独立というものは、どんな業界でも怖いものですよね。
仕事仲間の理解やサポートもあって、いまでは症状もかなり改善したそうですが、ストレスの多い職業柄、完治はしないと医者から言われているそうです。
4、星野源
俳優業と音楽活動を両立して多忙な星野源さんが「くも膜下出血」で一時仕事を休んでいたことはよく知られていますが、
パニック障害を患ったことがあることはあまり知られていません。
星野源さんは小学生のころ、昭和30年代のコミックバンド、クレイジーキャッツが好きだったという変わった少年だったためか、学校でいじめられることがあったそうです。
そのせいでパニック障害を発症し、高校に入ってからは家の外に出ることができないほどになっていました。
そんな星野源さんを救ったのはクレイジーキャッツの『黙って俺について来い』という曲でした。
「そのうち何とかなるだろう」という歌詞が彼の気持ちを前向きにし、パニック障害克服へと導いてくれたということです。
3、深瀬慧
SEKAI NO OWARIのボーカルを務めるFukaseこと深瀬慧さんは過酷な少年時代を過ごしました。
喧嘩っ早かった深瀬さんは、中学生のときに集団リンチにあい不登校になりました。
高校に入学しても喧嘩グセは治らず1年で中退してしまいます。
その後アメリカに留学しますが、環境の違いになじめずパニック障害になって帰国しました。
精神病院に入院して病気を治療した深瀬さんですが、今度は薬の副作用で社会に適応できなくなってしまいました。
そういう絶望の中で作ったバンドがSEKAI NO OWARIです。
音楽に集中する生活を続ける中で深瀬さんはパニック障害を完全に克服しました。
2、長嶋一茂
父親である長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツに所属していた長島一茂さんは1996年、春先から二軍暮らしをしていました。
そんな長島さんをパニック障害が襲います。長嶋さんは過呼吸から意識を失い、病院に運ばれてしまいました。
それ以来、たびたび発作に苦しめられた長嶋さんは自分の心の弱さを責め、自殺の衝動に駆られる日々を送ったといいます。
長嶋さんは、その年のシーズンオフに戦力外通告を受け現役を引退しましたが、これが転機になりました。
昔から興味があった極真空手を始めた長嶋さんは、空手に夢中になっているうちに、いつのまにかパニック障害を克服してしまったのです。
1、中川剛
漫才コンビ中川家が関西で頭角を現し、多くのレギュラー番組を抱えていた1997年に、
兄の剛さんがパニック障害になりました。ストレスとプレッシャーが原因です。
発作が起きるのが怖くて、剛さんは長い時間車内に閉じ込められる急行・特急電車には乗れなくなったそうです。
弟の礼二さんは剛さんに付き添い、一駅ごとに下車したり、長距離を一緒に歩いたりしました。
剛さんの病気のせいで中川家は多くのレギュラー番組を失いました。
剛さんは引退も考えましたが、あほの坂田として知られる坂田利夫さんに
「喋れんかったら喋れんかったでアホな顔して笑ろとったらええねん」と言われ少し気が楽になったそうです。
その時から完璧主義を捨てて現在のラフな漫才スタイルを築き、パニック障害も克服することができたそうです。
今でもたまに発作が起きることはありますが、パニックに陥ることはないようです。