日本の建築技術と美術が集約された名城TOP5



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5、松江城

島根県松江市に築城された松江城は、1611年に堀尾忠氏(ほりおただうじ)により建てられ、

 

その後、京極忠高によって改修されました

 

複合式望楼型4重5階地下1階の作りで、別名を「千鳥城」といい、その天守は国宝指定されています。

 

 

明治の廃城令で天守を除く建物は全て撤去され、天守も一旦は売られてしまいましたが、地元の名士たちが買い戻しました。

 

このおかげで江戸時代からの天守を現在も見ることができます。

 

桜の名所でもあるこの城は、日本さくら100選にも選ばれていています。

 

城としての役目を終えてはいますが、今でも人々を癒すために活躍しています。

 

4、彦根城

滋賀県彦根市に立つ彦根城は、1622年に完成したもので、別名「金亀城」と呼ばれています。

 

これはこの城が金亀山に築かれたことに由来しています。

 

天守は複合式望楼型3重3階地下1階となっていて、日本国内に現存する、江戸以前に建築された12の天守のうちの1つです。

 

 

この城は井伊直政が1601年石田三成の居城だった佐和山城に入り、直政亡き後直継が彦根山に築城したのが始まりです。

 

大坂の陣などのがあったため築城には20年もの歳月を要しました。

 

代々、井伊家が城主となり、井伊直弼も藩主となるまではこの彦根城で過ごしました。

 

この城は明治時代の廃城令から逃れることができたので、今でも昔のままの天守を見ることができます。

 

この城は平城のため、敵の侵入を防ぐ「登り石垣」が掘られています。

 

これは朝鮮出兵の際、朝鮮半島に作られた倭城の防備のための技法で、平地での敵の侵入を防ぐ役割をしたものです。

 

姫路城や熊本城に比べると作りは小さいですが、立派な天守が現存しているために評価が高いお城です。

 

3、松本城

長野県松本市にある松本城は天守が国宝に指定されている名城で、1504年に築城されました。

 

松本城と呼ばれる前は深志城、市民からは「烏城」とも呼ばれています。

 

 

天守は複合連結式層塔型5重6階の作りとなっており、最初の築城主は小笠原貞朝(おがさわら さだとも)でしたが

 

国替えとなったため次の城主石川数正(いしかわかずまさ)とその子・康長(やすなが)が天守などの主だった部分を作りました。

 

その後、松平直政(まつだいらなおまさ)によって改修されています。

 

現存する天守としては日本最古のもので、その建築は1593年から1594年に行われたとみられます。

 

壁の下部に下見板を取り付けているため黒い色が目立ち「烏城」などと呼ばれるようになったと考えられています。

 

関ヶ原の戦い以降に姫路城のように白く塗ったようなので、それ以前は本当に真っ黒な城であったようです。

 

現在の白と黒の調和がとれた見事な姿もとても美しいですね。

 

この城は平城なので3重に堀があります。月夜に堀の水面に映る松本城はとても美しいので必見です。

 

2、熊本城

熊本県熊本市に立つ城で別名「銀杏城」とも言います。

 

その名は熊本城に植えられた大きな銀杏の木に由来しているそうです。

 

熊本城は1469年から1487年にかけて築城されましたが、現在のような立派な姿に改修されたのは

 

加藤清正が熊本藩主として居城するようになってからのことでした。

 

天守は連結式望楼型3重6階地下1階の作りとなっています。

 

 

加藤清正は築城の名手であり、熊本城の石垣は「武者返し」と呼ばれる変わった作りになっています。

 

これは裾の方は緩やかで登るほど勾配がきつく反り返るようになっていて、敵をよせつけない強固な防壁となっています。

 

また、地下に井戸をたくさん掘り、レンコンなどを育て籠城戦に持ちこたえることのできる城にしていました。

 

この強固な城は加藤家が改易となった後、居城することとなった細川藩が守っていました。

 

明治になり西南戦争の戦場となったことで天守などが焼失してしまい1960年に再建されました。

 

2016年に発生した熊本地震により、石垣をはじめとする文化財が被害を受けてしまいました。

 

被害はとても大きく、今後20年かけて修復されていく予定だそうです。

 

1、姫路城

 

兵庫県姫路市にある姫路城はその美しさから白鷺城とも呼ばれています。

 

1346年赤松貞範により築城されたこの城は、天守や櫓が現存しており、国宝、重要文化財指定、世界遺産にまで指定されています。

 

戦国時代後期から黒田氏や羽柴氏が城主になると城の拡張が始まり、関ヶ原の戦い以降、池田輝政により大規模な増改築が行われました。

 

 

天守の構造は連立式望楼型5重6階地下1階となっており、地上高は46メートルです。

 

この城は羽柴秀吉、後の豊臣秀吉が居城したことがあることから「出世城」とも言われています。

 

また、幕末に新政府軍に包囲された時や、第二次世界大戦で焼夷弾を天守に撃ち落とされるも不発になるなどして現代まで残ったため、「不戦の城」とも呼ばれています。



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