5、西郷さんの肖像画
よく教科書に載っている西郷隆盛さんの肖像画は、実は本人ではないというのはご存知ですか?
西郷さんの肖像を書いたのはイタリアの画家である エドアルド・キヨッソーネという人物なのですが、彼は1度も西郷さんに会ったことがなく、
この肖像画も西郷さんの弟・従道と、いとこの大山 巌の顔を参考にして書いたそうです。
ということは、西郷隆盛の顔はあの肖像画とは全く別の顔をしていたのかというとそうでもなかったようです。
キヨッソーネが書いた西郷さんの肖像画は、西郷さんの親族が口をそろえて、そっくりだと言うほどのものだったそうです。
このように、西郷さんの肖像画は本人を見ずに書いたけれど、限りなく本人の顔に近い肖像画だったというのが本当のところです。
4、犬好き
西郷さんは見ての通り大柄な体格をしています。
趣味は狩猟で、大きな体で力いっぱい山野を駆け回っていました。
西南戦争の最中でもしていたほど 熱中していたそうです。
そのため西郷さんは猟犬をとても大事にしていました。
次第に、猟犬との絆は深まり、犬と生活を共にするようになっていきます。毎日、朝夕には犬を散歩させ、とてもかわいがっていました。
西南戦争に向かう際も、犬を連れて行ったのですが、自分の最期を悟ると犬だけは逃がしたそうです。
このような犬への愛情の深さから、犬好きのイメージが付き、犬と一緒にいる姿の銅像が作られました。
3、豪快な人柄
西郷さんは、あいさつなど行儀正しい人でしたが、食事のマナーについては無頓着だったそうです。
ある日、明治天皇の晩餐会に招かれた際、洋食が振舞われましたが、西郷さんは洋食のマナーを知りませんでした。
普通なら周りの様子を伺いながら、恥をかかないようにすると思いますが、
西郷さんは「作法を知らない」と言ってスープ皿を味噌汁のお椀の様に持ち上げて飲み干したそうです。
これには明治天皇も驚いたそうですが、飾り気のない西郷さんの人柄を大変高く評価されたそうです。
見た目通りに豪快で頑固な九州男児の イメージ通りの性格をしていたことがわかりますね。
2、生存説
西南戦争で切腹して果てたはずの西郷さんですが、実は生きていたという噂がありました。
西郷さんの死後、「西郷隆盛は四国に逃げて無事だった」とか、「実はインドに逃げていた」など生存の噂が広まりました。
挙句の果てには「ロシアで生きていて、ロシア皇太子来日に西郷隆盛が同行してくる」とまで話は飛躍していました。
しかし、西郷隆盛は切腹した後、介錯され首も確認されているのでそのようなことはあり得ないことです。
このような噂がたったのも西郷さんがカリスマ的存在で、人気があったことの表れと言えるでしょう。
1、女性にモテた?
実は西郷さんは3度も結婚をしています。
最初に結婚した相手は、伊集院すがという女性でした。
しかし、西郷さんは家を空けることが多く、生活費も家に入れていなかったので生活できなくなって離婚となりました。
2人目は、西郷さんが安政の大獄で奄美大島に流刑になったときに結婚した愛加那という女性です。
2人の子供に恵まれましたが、西郷さんが島を離れる時、妻を島外に出せなかったため泣く泣く別れました。
3人目は岩山イトという女性で、彼女との間に3人の子供を授かりました。
彼女は自分の生んだ3人の他に、2番目の妻・との子供2人を引き取って育てました。
こんな立派な奥さんがいたにもかかわらず、西郷さんは愛人を囲い、芸者や舞妓にもモテていたそうです。
カリスマ性のある人だったそうなので女性からモテモテだったのでしょう。
最近のコメント