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体に余分な部位を持ち 生まれた人たち 5選

5、ジージー

2006年、中国の上海に生まれたジージー君は3本の腕を持っていました。左肩に2本の腕があったのです。

このようなケース自体は非常に珍しいものではありません。手や足が多い状態で生まれてくる子供も ときにはいます。

しかしジージーくんのケースが特殊だったのは、左肩の2本の腕が両方とも正常な感覚を持っていたということです。

ジージー君のようなケースでは一般的に、二つの腕のうち一方は退化していたり感覚がなかったりして、

どちらが本来の腕で どちらが余計についてしまったものかが判別できるものです。

そのため二本ある左腕のうち、どちらを切除するかについて医師は難しい判断を迫られましたが無事に切除に成功し、今では普通の生活を送っているそうです。

 

4、ホンホン

手足の指の数が普通よりも多い状態で生まれてくることを多指症といいます。

1000人に1人くらいの割合で多指症の子供が生まれてくるといいます。

たいていの場合は手の親指が2本に分裂して生えるなど、多指症とはいっても1・2本指が多いだけなのが普通ですが、

中国の湖南省に手の指15本、足の指16本、合計31本の指を持つ子供が生まれました。

ホンホン君と名付けられたその子供の母親も 両手の指が6本ずつある多指症でした。

医師は手術を勧めましたが、難しい手術になることは明らかでした。

ホンホン君の手は ただ指が多いだけではなく、両手に掌が二つずつあって親指がなかったのです。

当初、手術費は3万ドルと見積もられていましたが、ニンポー市の病院が貧しい家庭に生まれたホンホン君のために 費用を減額して手術することを引き受けました。

しかも、術後も16年間は経過を見るという保証つきですので、今後の経過もしっかりと見てくれるようです。

 

3、ドミニク

コートジボワールで生まれた生後10ヶ月のドミニクちゃんが手術を受けたのは、余分に生えていた2本の足を取り除くためでした。

この足は彼女の肩から首の辺りにあったのです。

ドミニクちゃんは足を余分に持っていたばかりか、背骨も2本持っていました。

これは双子の片割れが成長できずに、一部ドミニクちゃんの体とつながってしまったものです。

ドミニクちゃんの余分な骨の分離手術はアメリカのシカゴで行われました。

背骨と足を切り落とすだけでなく、血管や神経も切り離して再接合する難しい手術でした。

6時間に及ぶ大手術となりましたが無事に成功し、これからはドミニクちゃんも普通の人生を送れると医師も太鼓判を押しました。

この手術をしなければ、彼女の心肺器官は、いずれ余分な骨と足に耐えることができなくなると言われていたほどでした。

 

2、マートル・コービン

1868年にアメリカ・テネシー州に生まれたジョセフィン・マートル・コービンは脚を4本持つ女性でした。

外側の2本は太く長くて普通の脚のように見えますが、それに挟まれてさらに2本の細く短い脚をもっていたのです。

しかも隣同士の2本が対になっていました。つまり、長い足と短い足の組み合わせの2対の脚をもっていたのです。

これは彼女が成長するにつれて腰から下が分裂して、骨盤が二つになったためでした。

彼女はほとんど歩くことはできませんでしたが、生涯に5人の子供を産み、60歳を間近にして亡くなりました。

 

1、ベティー・ルー・ウィリアムズ

アメリカ・ジョージア州の貧しい家に珍しい体つきの女の子がいることを知ったディック・ベストという男は、

彼女にベティー・ルーという名前をつけ、ニューヨークに連れて行きました。

1934年、彼女がわずか1歳のときです。彼女のお腹からは、生まれてくることができなかった双子の両手両足と頭が突き出ていたため、見せ物にしたのです。

それが有名な見せ物興行師ロバート・ライプリーの目に止まり、ベティ・ルー・ウィリアムズはライプリーの見世物小屋で働くことになりました。

報酬は週給250ドル、成人してからは1000ドルでした。

当時としては破格の大金を受け取って彼女は家族を養い、自分よりも年上の兄弟を大学に行かせたといいます。

その美貌と明るい性格で、多くの人を魅了したのだそうですが、残念なことに23歳の若さで亡くなってしまいました。

死因は喘息に伴う合併症だったようで、恐らく彼女から出ていた双子の体も原因だったと言われています。

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