・クレッグ・ハリソン
イギリス軍王室騎兵隊に所属していたハリソンはスナイパーとしてアフガニスタンに配属された。
ハリソンは配属されたアフガニスタンの戦場で、タリバン兵を発見。その距離は約2.5キロ先であった。
彼は正確に敵との距離を確認し、態勢を整え、タリバン兵に標準を定め、2.5キロ先の兵士を射殺。
さらに、そのすぐ近くにいたもう一人の兵士も射殺した。
2.5キロとは銃弾でも到達するまで約3秒かかる距離だ。
それだけ離れた距離にいる敵の急所を撃ち抜ける人間はそういない。
・カルロス・ハスコック
カルロス・ノーマン・ハスコック2世はアメリカ海軍のスナイパーとして、ベトナム戦争で93人を射殺した。
迷彩帽子に白い羽をつけていたことから、「ホワイト・フェザー」の異名を持つ。
また、実技だけではなく、彼のスナイパー養成プログラムも評価が高かった。
その中でハスコックが策定した概念「ワンショット・ワンキル」つまり一撃必殺がアメリカ海兵隊のスナイパーの代名詞になっている。
退役後も積極的に軍や警察に狙撃の指導をしていたが、1999年、病気で亡くなった。
彼の功績を称え、いくつかのアメリカの軍事施設に彼の名前を冠する射撃場が作られた。
・クリス・カイル
クリス・カイルはアメリカ海軍特殊部隊に所属し、160人を射殺、アメリカ軍で最も敵を仕留めた兵士である。
カイルはイラク戦争のラマーディーの戦いで多くのイラク武装勢力を仕留めたことから、「ラマーディーの悪魔」と恐れられた。
彼が書いた自伝「ネイビー・シールズ最強の狙撃手」は「アメリカン・スナイパー」という題名で映画化された。
英雄の彼の終わりは突如訪れた。
2013年2月2日、射撃練習場でPTSDを患った同僚に射殺されてしまったのだ。
・ヴァシリ・ザイツェフ
ヴァシリ・グリゴーリエヴィチ・ザイツェフは第二次世界大戦で活躍したソビエト連邦のスナイパーである。
スターリングラード攻防戦ではドイツ国防軍とその他の軍のスナイパーを含む257もの兵士を射殺し英雄として表彰された。
さらに、ザイツェフは狙撃兵訓練学校を作り28人のスナイパーを戦地に送り出した。
ザイツェフとその生徒たちで3000人以上の敵兵を射殺したと言われている。
ジュード・ロウ主演の映画、「スターリングラード
はザイツェフのスナイパー人生を元に描かれた作品である。
・シモ・ヘイへ
シモ・ヘイへはフィンランド軍のスナイパーで、敵の軍隊から“白い死神”と呼ばれた。
なぜなら、彼はフィンランドとソビエト連邦との間で起こった冬戦争で、スナイパー史上最大人数の542名を射殺したからだ。
ソビエト連邦は、重大な脅威であるヘイへを討ち取ろうと躍起になり、大砲やスナイパーを多く配置した。
その結果、1940年3月6日、ソビエト連邦の兵士がヘイヘの左アゴを撃ち抜くことに成功。
近くにいた兵士が「彼の顔が半分なくなったようだった」と語るほど、深い傷であった。
しかし、懸命な治療の結果、戦争が終結した3月13日に意識を取り戻している。
彼は狙撃の秘訣を「練習」と答え、542名もの命を奪ったことに対して「やれと言われたことを、可能なかぎり実行したまでだ」と語った。
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