6、勤労感謝の日

新嘗祭
現在、11月23日は勤労感謝の日で祝日になっています。
この名前が使われるようになったのは昭和23年からです。それまでは新嘗祭という祭日でした。
新嘗祭は宮中や伊勢神宮などで天皇が行う儀式です。天皇はその年に収穫された五穀を神々に献上し、翌年の豊穣を祈願します。
この祭儀は7世紀の女帝、皇極天皇の時代に始まったと言われます。
明治初年までは旧暦の11月に行われていましたが、明治6年から現在のカレンダー、新暦の11月23日が新嘗祭の日となりました。
戦後、GHQの要請で国家神道に関係する新嘗祭は廃止され、代わりに勤労感謝の日として祝うことになりました。
農作物の収穫は労働の成果という論理だそうです。
5、文化の日

明治節
11月3日は明治天皇の誕生日なので、明治時代はこの日が祝日でした。当時は「天皇誕生日」ではなく、「天長節」と呼ばれていました。
大正時代の終わり頃から、近代日本の礎を築いた明治天皇の功績を偲ぶ記念日を作ろうという話になり、昭和2年に制定されたのが明治節です。
明治節は明治天皇の誕生日11月3日と決められました。
第二次大戦後、明治節は廃止されましたが、同じ日を文化の日という名前の祝日にして現在に至っています。
つまり明治時代の天長節が昭和になってから明治節として復活し、戦後「文化の日」になったということです。
4、建国記念の日建国記念日

紀元節祭
奈良時代に編纂された歴史書『日本書紀』によると、日本の初代天皇、神武天皇は紀元前660年1月1日に即位したことになっています。
この記述を元に明治7年以降、2月11日を紀元節として祝ってきました。
当時の学者が計算をして、紀元前660年1月1日が新暦では2月11日になることがわかったためです。
この祭日もGHQの意向でされます。
しかし国民の感情としては建国記念の祝日を願う声も大きく、1966年に「建国記念の日」法案が成立しました。
そのあとで、政府が政令により2月11日をその「建国記念の日」と定めました。
このような手順を踏んだのは、神武天皇が即位した日を「建国記念日」とすることに、天皇制反対の立場をとる社会党が難色を示したためです。
「建国記念の日」と「の」を入れることで、建国した日を祝うのではなく、
日本が建国されたことを祝うというニュアンスになるということで、この呼び方になったそうです。
3、春分の日

春季皇霊祭
春分の日は太陽が春分点を通る日で、3月20日か21日のどちらかになります。
冬から春にかけて少しずつ昼間の時間が長くなり、昼と夜の時間がちょうど同じになるのが春分の日といわれていますが、実際は昼のほうが少し長い日です。
それでは、なぜこの日が国民の祝日なのでしょうか?春分の日は、もともとは日本の風習でいう「お彼岸の日」です。
お墓参りをして先祖に感謝する日です。この日は皇居内でも同じ趣旨で宮中祭祀がとり行われます。
天皇が歴代の天皇・皇后・天皇の両親の霊を祀ります。
この儀式は皇霊祭と呼ばれますが、戦争が終わるまで皇霊祭の日は祭日でした。
春季皇霊祭の日が戦後、国民の休日「春分の日」になったのです。
2、秋分の日

秋季皇霊祭
皇霊祭は春と秋の2回行われていました。
秋季皇霊祭は民間でいう「秋のお彼岸」に当たり、春季皇霊祭と同様の儀式を取り行う日でした。
春季・秋季皇霊祭は祭日としては廃止され、春分の日と秋分の日に変わりましたが、
皇霊祭自体は毎年春分の日と秋分の日に宮中で、昔と同じように行われています。
1、海の日

1996年から祝日となっている海の日は、初めは7月20日、2003年からは7月第3月曜日となっています。
法律によれば「国民の間に広く海洋についての理解と関心を深めるような行事が実施されるよう努めなければならない」日ということです。
それ以前は祝日ではありませんでしたが、7月20日が「海の記念日」でした。
明治9年に明治天皇が東北地方巡幸を終えたあと、汽船で青森港から横浜港に帰ってきた日が7月20日だったことにちなんで昭和16年に制定された記念日です。
ちなみに、そのとき明治天皇が乗った汽船「明治丸」は東京海洋大学に保存されています。
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