5 スモーキー・マウンテン
フィリピンのマニラ郊外にあるスラム、スモーキー・マウンテンは、ゴミ投棄場として建設されました。
そこへ大都市マニラから可燃性のゴミから、機械など、ありとあらゆるゴミが山のように積み上げられました。
その結果、この山のゴミが自然発火して煙を出すようになり、スモーキーマウンテンという名前が付きました。
これらのゴミを漁って暮らす貧しい人たちがスモーキー・マウンテンに集まり、そのままそこに寝泊まりするようになり、
いつのまにかスモーキー・マウンテンは3万人の人々が暮らす巨大なスラム街になってしまったのです。
あまりにも肥大化したため、1995年スモーキー・マウンテンは強制的に閉鎖され、スラム住民は退去を命じられます。
しかし、住民の多くは別のゴミ捨て場であるスモーキー・バレーに移り住んだため、根本的な解決には至っていません。
4、クロントイ・スラム
タイの首都バンコク周辺には2000近いスラム街があると言われますが、その中でも最も大きいのがバンコク中心部に位置するクロントイ・スラムです。
住民の数は実に10万人。一つの都市と言っていいほどの規模です。
クロントイ港に仕事を求めてやって来た貧民が住みついてスラム街が形成されました。
クロントイ・スラムは確かに、麻薬・ギャング・犯罪が渦巻くスラム街です。
しかし、このスラム街には注目すべき点があります。
それは、住民が結束して生活の改善に努めてきたことです。電気・ガス・水道といったインフラの整備、子供の教育などはスラム内の自主的な活動によって成果を上げてきました。
課題はまだまだたくさんあります。それでもクロントイ・スラムの住民は一丸となってよりよい暮らしのために努力し続けているのです。
3、キベラ・スラム
キベラ・スラムはケニアの首都ナイロビにあるアフリカ最大級のスラム街です。
その人口は50万人とも100万人とも言われています。
住民の大半は1日あたりの収入が1ドル以下の極貧生活を強いられています。
衛生状態も最悪で、排泄物を入れたビニール袋「飛ぶトイレ」が街中のあちこちに散乱しています。
まともなトイレがないため、住民はそのように処理するしかないのです。
このスラム街にはテレビ1台の映画館や雑貨店などがあり、スラムの中でも普通に生活ができます。
そのため、貧しくて都市部では生活できない人が、ここに住み着くそうで、年々住民は増えているそうです。
2、シテ・ソレイユ
カリブ海に浮かぶ島国、ハイチの首都ポルトープランスにも巨大なスラム街があります。
それは北半球最大規模のシテ・ソレイユです。
世界でも最も危険な地域として知られています。
街中に溢れるギャングは武装して、銃の撃ち合い・殺人・強姦・誘拐を繰り返しています。
2007年に国連が介入。
やっとのことでハイチ政府はこの地域の支配権をギャング達から奪還しました。
とはいえ、スラムであることに変わりはなく、ギャングによる犯罪もいつになったらなくなるのか、今のところ誰にも分かりません。
1、ファヴェーラ
ファヴェーラはスラム街を意味するブラジル・ポルトガル語の名詞です。
ブラジルのファヴェーラで最も有名なのはリオデジャネイロにあるプロヴィデンシアの丘にあるファヴェーラです。
19世紀に、政府から住居を提供してもらえなかった元兵士たちがこの丘に家を建て、そこへ奴隷だった黒人たちも住み着いて拡大していきました。
しかし、もともと政府の管理下にあったわけではないので、ギャングがはびこり、犯罪の温床となっていました。
コロンビア産のコカインの販売や、それを使用させるためのダンスパーティーをやることで徐々にギャングたちは力をつけていきました。
そうすると、ファベーラは麻薬王のギャングが支配するようになり、秩序もなくなって世界一危険な街になってしまいました。
しかし、2014年のワールドカップ、2016年のオリンピックの開催地となったことで、観光客が多く訪れるのは明らかだったため、
ブラジル政府は、ファベーラの本格的な掃討作戦を開始します。
軍警察の特殊部隊による、ギャングの掃討作戦を展開し、後に治安部隊による24時間監視体制が敷かれました。
さらに内部にソーシャルワーカーの配置をしたり、DVや薬物中毒などに関する相談窓口を設置するなど、内部からも改善に努めるという取り組みも始めました。
このように、ファベーラという存在を政府が認めて介入し、生活水準を上げていく取り組みが進められています。
こう見るといつの日か、貧困問題が解決して、ファベーラが安全な街になることも夢ではないと思えますね。