5位
アイリーン・ウォーノス
アイリーンは精神病の父と、アルコール依存症の母の元に生まれたが、両親が離婚し祖父母に育てられた。
この祖父母もアルコール依存症で、日ごろから暴力を振るわれ、祖父からは強姦されるという劣悪な環境で育った。
そのため、若いころから家を出て売春婦として働き、強盗や窃盗などの犯罪を何度も起こしていた。
33歳になったアイリーンは1989年から1990年の間に、フロリダで7人もの男性を殺害。
逮捕された彼女は、裁判で「強姦されそうになったため殺した」と正当防衛を主張した。
最初の1人目こそ強姦されていたが、あとは娼婦として客に近づき、二人きりになったときに強盗目的で殺害した。
結局、アイリーンは7人を殺した容疑で6件の死刑宣告を受ける。
2002年、フロリダで薬物による死刑が執行。アメリカ史上10人目の女性死刑囚となった。
4位
ベル・ガネス
彼女の財産への欲望は相当強く、16人もの犠牲者を生み出す結果となった。
シカゴのビジネスマンと結婚した彼女だが、夫と子どもたちが不自然な死を遂げ、ベルは保険金を手に入れる。
その保険金を元に彼女が始めた下宿屋、パン屋も全焼。またも保険金を受け取るが、その後は保険屋から加入を断られた。
その後、農場を経営する男性と結婚するが、不幸にも夫の頭に斧が落ちてきて死亡。
未亡人となったベルは、新聞広告に「広大な土地を所有する若い女性です。私の財産と釣り合うお金を持つ身寄りのない結婚相手を探しています」
と掲載して、お金持ちの身寄りのない男性をおびき出し、金を持って来させて殺害することを繰り返した。
言い寄ってくるのは身寄りがない男性なので、事件も発覚しない。
と思いきや、殺された男性の中に弟がいるものがおり、彼が通報したことからベルに捜査の手が及んだ。
しかし、警察が捜査する前にベルの農場が全焼し、ベルの子供3人の遺体と、ベルと見られる首のない遺体1体が見つかった。
ベルによる犯行を思われたが農場に放火した容疑で、ベルの農場で雇われていたレイ・ランフィアという男が逮捕された。
この男、実はベルの愛人で、新聞でおびき出した男性を殺す手助けをしていた。
さらに、浮浪者を殺し、首なしにして火事の現場に置き、ベルに見せかけたのだという。
つまり、ベルは身代わりを立てて事件を収束させ、自身は高飛びをしたのである。その後ベルを見たものはいない。
3位
ジュリア・ファゼカシュ
第一次世界大戦中、ハンガリーにあるナギレヴ村は、男たちが戦争に行ってしまったために女性ばかりであった。
この村に捕虜の男性が多数やってきて、村の女性たちと交際するようになり、ともに後腐れのない恋愛を楽しんだ。
しかし、戦争が終わり捕虜は帰され、旦那たちが村に帰ってきた。
妻たちは自由に恋愛していた生活から、戦争のすさんだ環境から戻った旦那たちの世話をする生活に変わったことに不満を感じていた。
そこで、この村唯一の助産師であるジュリア・ファゼカシュに相談が相次いだ。
ファゼカシュは、村の女性を集め「ヒ素」を渡して、夫の毒殺をするよう手助けをするようになった。
しかし、女性たちは夫を殺しただけでなく、気に入らない人がいたら、すぐにヒ素で殺すようになってしまった。
その結果、1914年から1929年の15年間で300人以上が女性たちに殺害された。
さすがに不審に思われ、捜査が行われ、38人もの女性が殺人の容疑で逮捕された。
ファゼカシュは逮捕される前に自ら毒を飲んだ。
2位
アメリア・ダイアー
アメリアはビクトリア女王時代のイギリスに生まれ、出産施設のたくさんの赤ん坊に手をかけた殺人鬼である。
少なくとも6人の子供を殺したことが確認されており、200人から400人もの子供の殺害に関与したとされる。
彼女は出産するも育てることができない女性から赤ん坊を有料で引き取り殺すことを繰り返していた。
1879年に育児放棄の罪で逮捕されたが、6ヶ月の強制労働を言い渡されたのみであった。
その後、釈放されるとすぐに赤ちゃん殺しを再開し、合計400人以上を殺したが、1896年に再逮捕。
有罪が確定すると絞首刑に処され、人生を終えた。
1位
バートリ・エルジェーベト
バートリ・エルジェーベトはハンガリーの伯爵夫人で、史上最も極悪な女性連続殺人犯といわれている。
彼女は皮膚を剥いだり、指を切ったり拷問をしてから殺すことに快感を得る変態性欲者であった。
また、処女の血を浴びることで肌がきれいになると信じていたために「鉄の処女」という器具で少女を殺害し、その生き血の風呂に入っていたという。
1585年から1610年にかけて80人の少女を殺害した罪で告発されたが、本人におると650人殺している。
しかし、彼女は権力者だったため、死刑ではなく、城の一室に幽閉されるという刑を受ける。
幽閉後3年半でその人生を終えた。
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