5、オルドリッチ・エイムズ
オルドリッチ・エイムズは欲張りで自己中心的な金の亡者だと言われていた。
オルドリッチは個人的なお金を稼ぐためにソビエト軍とCIAとの二重スパイをしていたからだ。
彼は1963年にCIAに入局。ロシア語が話せたこともあり、1983年にはソ連への運営工作の要職に就いた。
1985年には、自らソ連の秘密警察KGBに情報を漏らす代わりに巨額の報酬を得るという取引をしていた。
彼が情報を漏らしたことにより、ソ連国内にいたCIA協力者たち10人以上が処刑されている。
さらには、重要機密文書などもビニール袋に入れて持ち出しソ連へと流すなど、数千件にも及ぶ情報を流出させた。
こうして得た報酬でオルドリッチは家や車を買い、贅沢な暮らしをしていたことから同僚に疑われ始める。
そこから捜査された結果、ついに悪事がばれてしまい、9年間にも及んだスパイ活動に終止符が打たれた。
現在彼は仮釈放なしの終身刑に処され、服役中である。
4、シー・ペイ・プー
最も常識外れなスパイ活動をしていたとも言われているのが、中国人スパイのシー・ペイ・プーである。
驚くべきことにシー・ペイ・プーはスパイになってから20年間もの間、ずっと女性になりすましていた。
なぜ女性になりましていたのかというと、フランス大使館に勤務していたベルナール・ブルシコという男に近づき、情報を聞き出すという目的があったからだ。
シーは男性器を隠しつつベルナールと性行為をし、心をつかみ恋人関係になっていた。
その後、ベルナールが転勤になってしまい離れることになったが、しばらくしてから妊娠・出産したと言い、中国へ呼び戻した。
当然、その赤ん坊は自分の子供ではなく中国の軍関係者がハーフの子供を探してきたものだ。
こうしてベルナールは愛する妻と偽物の息子の為に、18年もの間、情報を漏らし続け150件もの情報を流出させた。
しかし、1986年18年間に及んだスパイ活動はフランス政府によって暴かれてシー・ペイ・プー、ベルナールは共に有罪となった。
2人とも数年で釈放されたあとは接触することはなく、それぞれの人生を終えたのであった。
3、シドニー・ゴットリーブ
冷戦中の最も有名なスパイ、それがシドニー・ゴットリーブである。
彼は1950年代から60年代にかけて「MKウルトラ」というCIAの秘密計画を担当していたことで有名だ。
このMKウルトラという計画はマインドコントロール、つまり洗脳の可能性を研究するための計画である。
シドニーはLSDなどの薬物を使用して人を洗脳したり、暗殺することを研究していた。
この計画中に彼の指示のもとで、多くの人が知らず知らずの内にLSDを摂取させられ、その反応を観察されていたという。
また、キューバなどの国家の首脳クラスの人間に薬物攻撃を仕掛けるなどして暗躍していた。
1970年代にMKウルトラ計画が暴露されたが、シドニーは非難されるどころかアメリカ政府から勲章を授与されている。
その後、スパイを引退した彼は、バージニア州でヤギを飼い、のんびりと暮らし、80歳で亡くなった。
2、猫
あなたはスパイ活動をする猫をご存知だろうか。
実は1960年代、CIAはありとあらゆる動物をスパイに使う研究、訓練をしていた。
その訓練の対象にはカラスや蜘蛛などたくさんの種類の動物がいたとされている。
それらの中に「アコースティックキティー」という計画があった。
この計画で使用された猫は盗聴器が体に埋め込まれ、さらには人の声を追うように教育されていたという。
このようなことが行われていたことは定かではないが、CIAは肯定も否定もしていない。
1、マタ・ハリ
世界で有名な女性スパイで、女性スパイの代名詞とも言われるマタ・ハリ。
彼女は、オランダでマルガレータ・ヘールトロイダ・ツェレという名前で生まれた。
20世紀初頭にフランス・パリに移住し、ストリップダンサーとして活動を始め、マタ・ハリと名乗るようになる。
当時のパリでは過激なダンスをする人は少なかったため、マタ・ハリは瞬く間に人々の注目集めた。
人気が爆発したマタ・ハリはドイツ軍やフランス軍の将校を相手にする高級娼婦として活躍するようになる。
このことがきっかけで、国際的な陰謀渦巻く時代にスパイとして利用されてしまうことになる。
ドイツ軍とフランス軍の両方からスパイとして利用され、二重スパイとなってしまったのだ。
彼女の活動により多くのドイツ、フランスの兵士が死んだとして1917年に逮捕される。
結果、マタ・ハリは銃殺刑に処せられ、その人生を終えた。
ちなみに現在では、マタ・ハリは魔性の女スパイ、というよりは脅されてスパイをしていた不運な人質だったのだと主張している歴史学者も多い。
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