5、ベイチモ号
ベイチモ号は、1914年に進水し、極寒の北カナダ地域でイヌイット族との食料の交易に使われていました。
1931年10月8日、氷河に挟まり動けなくなったため、15人の船員は船から降り、
船から少し離れたところに木の小屋を建て、助けを待ちました。
11月24日、激しいブリザードに見舞われます。それが晴れるとベイチモ号は消えていました。
船員たちは沈没したと思っていましたが、数日後に72キロ先で目撃したという情報が入ってきました。
そこで船員たちは船に行きますが、この船で氷河を越えることはできないと判断されたため、積み荷だけ回収されて、その場に放棄されました。
1933年にイヌイットの一行15名がベイチモ号を発見したところ、激しい嵐に見舞われ、10日間船に閉じ込められてしまいます。
1939年にある船乗りがサルベージを試みますが、氷塊が近づいてきたために断念しました。
その後も何度かサルベージをする機会はあったそうなのですが、全て失敗に終わったそうです。
幽霊船のように海を彷徨ったベイチモ号は1969年にアラスカ沖で目撃されて以降、目撃されていません。
アラスカ州政府がベイチモ号の捜索プロジェクトを立ち上げましたが、いまだに消息不明のままです。
今でも人の手から逃げるかのように海を漂っているのかもしれません。
4、カズII号
2007年、オーストラリアの海岸で3人の男性が「カズⅡ号」という名のボートで旅行をしていました。
しかし、彼らが出発してから3日後、カズII号が無人の状態で漂流しているのを発見されました。
船内は不自然なまでに何もかもが整っていました。
パソコンもしっかりテーブルの上に置かれており、食事の準備までされていたのです。
ライフジャケットも所定の位置にかけられていました。
唯一、損傷があったのは帆でした。帆はなにかに引き裂かれたようにズタズタになっていました。
残された船やGPSを科捜研が調査した結果、スコールに巻き込まれ、海に流されたという結論になりました。
しかし、この船に乗っていたのは50代と60代のベテランの船乗りだったため、全員が救命胴衣も着けずに流されたというのは不自然だと考える人もいました。
とはいえ、3人は未だに発見されておらず、真相もわからずじまいとなってしまっています。
3、MVホイータ号
この船は最初、アメリカ人のある映画監督が個人所有の豪華ヨットとして制作し、妻の名前をつけたものでした。
その後、海軍に売却され、パールハーバーでパトロールボートとして活躍した後、海運会社に売却されます。
そこでは運搬とチャーターボートとして活躍していました。
1955年10月3日、サモアからトケラウ諸島に向かって出発したホイータ号は到着予定日の5日になってもトケラウ諸島には現れませんでした。
失踪から5週間後の11月10日、フィジーの近海で半分ほど沈んだ状態のホイータ号が発見されました。
25名の乗組員および乗客、貴重品をはじめとした荷物、救命ボートなど全てがなくなっていました。
残されていたのは乗客だった医師の聴診器などが入ったバッグと血の付いた包帯くらいでした。
これらの状況からキャプテンが怪我をしたか、亡くなってしまい、
キャプテンを失った乗客や乗組員が救命ボートに乗って、船を離れたけれど、遭難してしまったと言われています。
しかし、ホイータ号は発見されたときの状況からもわかるように「沈まない船」として知られていました。
なぜなら、冷蔵貨物を運べるよう、内側に大量のコルクを貼っていたからです。
このことは船長がいつも自慢していたので乗組員は皆知っているはずでした。
にも関わらず、小型の救助ボートでホイータ号を離れる判断というのは少し不自然なようにも思えます。
そのため、日本の漁船に襲われたというものや、ソ連に拉致された、などという噂も流れましたが、未だに真相はわかっていません。
2、サヨ号
2016年、フィリピン人漁師が沈みかけてゆらゆらと漂うヨットがあることに気づきました。
この異様なヨットを不自然に思った猟師が船室に入ってみたところ、今にも動き出しそうな様子で座っている男性のミイラが発見されました。
手には無線機が握られていました。恐らく、最期の最期まで無線で交信を試みていたのでしょう。
警察の調査の結果、この男性はドイツ人のマンフレッド・フリッツ・バヨラトさんだということがわかります。
彼は過去20年間ヨットで旅を続けてきた熟練の冒険家でした。
彼はいつもFacebookに旅の様子をアップしていましたが、発見から1年ほど前から更新がパタリと止まっていました。
その頃に、病気か何かになって身動きがとれなくなり、そのまま亡くなってしまったものと考えられています。
普通であれは腐敗して白骨化するところですが、船内の高い気温と潮風によってミイラ化したのだとみられています。
彼の姿勢からも死ぬことなど予想もつかなかったことだ、ということがわかります。
もしかすると、彼のそんな気持ちが白骨化を防いでミイラ化させたのかもしれません。
1、キャロル・ディアリング号
1921年1月、キャロル・ディアリング号はノースカロライナ州のハタラス・ダイアモンドの浅瀬で発見されました。
奇妙なことに船内のキッチンは、これから食事の準備をすることがうかがえる状態で放置されていました。
それを食べるはずだったであろう11名の乗組員はどこにもいませんでした。
ハリケーン説、バミューダトライアングル説、海賊説など様々な憶測が飛び交いましたが、どれも事実と認めるには証拠が乏しいものばかりでした。
この船に乗っていた乗組員たちは発見されておらず未だにその真相はわかっていませんが、一番有力とされているは暴動説です。
航海士が裏切って船長を殺し航海を続けたものの、座礁してしまい、救命ボートで陸を目指すも漂流してしまったというものです。
この事件は、ミステリー好きの間で「海における最大の謎」として未だに語られています。
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