オリンピック中に起きた悲惨な死亡事故 トップ5



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オリンピック開催時には勝者の喜び、敗者の悲しみ、スキャンダルなど様々な事が起こる。

 

当然、予期せぬ事故が起こることもある。

 

今回の動画ではオリンピックで起こった最も悲劇的な事件を紹介する。

 

ニコラ・ボシャテー

1992年にフランスのアルベールビルで開催された冬季オリンピックでのことだ。

 

ボシャテーはスピードスキーの最も優秀な選手の一人で時速209キロの速さで滑り、大会中、男子選手の13位だった。

 

しかし、決勝戦前日の2月22日、ボシャテーはチームメートやアメリカ選手と練習中に悲劇は起きた。

 

彼はコースのこぶに引っかかり雪上車に激突してしまい、死亡した。

 

この事故を受け、参考種目として開催されていたスピードスキーは未だにオリンピック正式種目にはなっていない。

 

 

ヌット・エネマルク・イェンセン

22歳のイェンセンは1960年、ローマで開催された夏季オリンピックで、ロードレース・デンマーク代表選手だった。

 

この時の競技中の気温は38度もあり、イェンセンの4人のチームメンバーのうちの1人が熱中症で運ばれてしまった。

 

それでもイェンセンを含む残り3人のチームメートは失格する事なくレースを終えた。

 

彼らは銀メダルを獲得したが、イェンセンはチームメートにめまいを訴え、意識を失った。

 

彼のチームメートが水をかけるなどして意識を戻した、しかし、それからすぐにイェンセンは倒れ、頭がい骨骨折を負った。

 

救急車で運ばれたが、そのまま亡くなった。

 

後に彼のコーチが興奮剤を与えていたと証言し、イェンセンの検死が行われた。

 

これによりアンフェタミンの反応が出たと言う医師と、死因は熱中症だと言う医師がおり真相はわかっていない。

 

 

センテニアル・オリンピックパーク

1996年・アトランタオリンピックのタウンスクエアーとしてデザインされたセンテニアル・オリンピックパークで事件は起きた。

 

 

この施設でナイトコンサートが開催されている最中、警備員がベンチの下から、パイプ爆弾の入ったダッフルバッグを発見。

 

すぐさま通報。人々は避難し爆弾処理班が出動したが、不幸な事に爆発が起きてしまい2名が死亡。

 

爆発と観客のパニックにより100名以上が負傷する時代になった。

 

犯人は元アメリカ陸軍兵士「エリック・ルドルフ」という人物で事件から7年後にやっと逮捕された。

 

現在、彼はコロラド州の刑務所で仮釈放なしの終身刑で服役している。

 

 

ブラック・セプテンバー

1972年、ミュンヘンで開催された夏季オリンピックの2週間目が過ぎた時、悲劇的な事件が起こった。

 

パレスチナのテログループ「ブラック・セプテンバー」がオリンピック村のイスラエル人選手団がいるフロアーに侵入。

 

抵抗したユダヤ系アメリカ人選手とイスラエル代表のレスリングコーチの2名が殺害された。

 

 

さらに、8人のテログループのメンバーはイスラエルの刑務所に収容されている234名の囚人の開放を要求。

 

しかし、イスラエルはその要求を認めることはなく武力で解決するしか、道はなくなった。

 

狙撃班が出動し救出を試みたが失敗し、テログループとの銃撃戦となる。

 

最終的には人質8人とドイツの警察官1名が乗るヘリが爆発し、全員死亡。

 

人質の内訳は、選手3名、コーチ3名、レフェリー2名だった。

 

テロリスト側も8人中5人が死亡。3名は逮捕された。

 

翌日10時から亡くなった選手の為の追悼式典が行われ、同日午後16時50分からオリンピックは再開された。

 

 

ノダル・クマリタシビリ

2010年バンクーバーオリンピックのことだ。ジョージア代表の22歳だったノダルは将来が約束されていた。

 

彼はオリンピック出場をかけて最小の装備で5つのレースで戦っていた。

 

彼は2010年、バンクーバーで開催される冬季オリンピックで、男子リュージュ競技の出場権を獲得。

 

オリンピック本番目前、ノダルがコースで練習をしていた最中に事故は起こった。

 

危険なカーブを曲がり切れずリュージュから投げ出され、鉄柱に時速約143キロで激突。

 

すぐに医療班が到着し空路で病院に搬送されたが彼を助ける事は出来なかった。

 

この事故によりリュージュ競技におけるコースや道具の安全面が見直された。

 

さらに未来の選手の事故を予防するために、多くの規則が加えられる契機となった。

 



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