5、エステル・レデツカ
冬季オリンピックにもたくさんの種目があり、平昌オリンピックでは102種の競技が行われました。
選手の中には高木菜那選手、美帆選手のようにスケートの2種目でメダルを獲る選手もいました。
チェコのエステル・レデツカ選手も2つの金メダルを獲得したのですが、少し違うパターンでした。
彼女の専門はスノーボードのパラレル大回転という競技です。
しかし、彼女が今大会で最初に金メダルを獲ったのは、副業で出場していたアルペンスキー・スーパー大回転だったのです。
その記録もトップと0.1秒差という劇的なもので、彼女自身、ゴール直後はその結果を受け入れることができずにいました。
その後、本業のスノーボードパラレル大回転でも見事金メダルを獲得し、冬のオリンピック史上初めての偉業を成し遂げました。
4、S.H.クルーゲル
今大会の男子スキーアスロンはまるで映画のようなドラマチックな物語になりました。
ちなみにスキーアスロンはスキーを履いた状態で雪山を走って競争する競技です。
スタート直後、ノルウェーのクルーゲル選手が転倒してしまい、最後尾から追う展開になってしまいました。
このような状況でも彼は諦めることなく前に進み、目の前の選手を一人また一人と追い抜いていきました。
中間地点に到達した時点では最後尾から14位にまで順位をあげました。
そこからどんどん順位を上げ、残り5キロとなったところではついに、トップに躍り出ます。
そこからは追随を許さず、1位のままゴールし、金メダルを獲得しました。
「初めてのオリンピックで最悪のスタートを切った」とクルーゲル選手はレースを振り返ります。
しかし忍耐が肝心と自分に言い聞かせて最後まで諦めなかった彼に、勝利の女神は微笑みました。
3、ミーシャ・ガッサー選手のご両親
フリースタイルスキー・エアリアルに出場したスイスのミーシャ・ガッサーの両親は、彼に言わせれば「クレージー」なまでの親バカでした。
なぜなら、息子の試合を見るために夫婦揃って自転車で韓国までやってきたからです。
スイスのチューリッヒから自転車に乗ってユーラシア大陸を横断し、平昌の試合会場までやってきたのですが
通行できなかった中国や北朝鮮は飛行機を利用して迂回したものの、全20カ国1万6000キロメートルをおよそ1年掛けて走破したのです。
途中標高5000メートルを超えるパミール高原を峠越えするなど、予想以上に過酷な旅だったそうです。
昔ネットで流行した「チャリできた」の少年たちは港南から二俣川の40キロ弱を1時間ほどで到着したそうですが、
このお父さんの「チャリできた」のほうが、とてもつもないインパクトがありますね。
2、オリンピックキス
フリースタイルスキー男子スロープスタイルで12位になったアメリカのガス・ケンワージー選手は、その成績以上の感動を多くの人に与えることになりました。
彼はスタートラインに着く前に、家族や友人と一緒に応援に来ていた恋人と口づけをかわしました。
その恋人というのは男性でした。カメラがそれを捉え、その様子が生中継で放映されたのです。
ケンワージー選手は前回のソチオリンピックで銀メダルを獲得したあと、ゲイであることをカミングアウトしていますが
オリンピック中継でごく当たり前に男性同士がキスする場面が映されたことで、視聴者から感動の声が上がりました。
世界的に同性愛者への理解が広まっていることがわかる感動的な出来事となったと言えるでしょう。
1、ヘルマン・マドラソ
冬のオリンピックである平昌オリンピックに、雪が降らない国メキシコから4人の代表選手が出場しました。
その中の一人、ヘルマン・マドラソ選手が世界中の人に大きな感動を与えました。
彼はクロスカントリー・フリースタイルの選手として、このオリンピックに参加しました。
マドラソ選手は43歳で、しかもクロスカントリーを始めたのはわずか1年前でした。
もともとはトライアスロンの選手でしたが、しだいにクロスカントリーに興味を持つようになり、自己流で始めてみたそうです。
当然と言ってはなんですが、マドラソ選手の順位は116位、最下位でした。
しかし、ゴールを迎えた瞬間のマドラソ選手はとてもうれしそうに満面の笑みでした。
彼がゴールすると、少し前にゴールしていたモロッコとトンガの選手が彼を祝福し、その健闘を称えました。
これぞ、チャレンジ精神、友情、連帯、フェアプレーのオリンピック精神といった名場面となりました。
このような素敵な光景がスポーツを通してだけでなく、様々な場面で見られるようになると良いですね。
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