時効寸前に電撃逮捕された指名手配犯3選



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3、2歳児ひき逃げ事件

 

2003年4月12日の夜遅く、福井県敦賀市の国道8号で男の子が車にはねられ死亡する事故がありました。

 

被害にあったのは石川県金沢市の会社員の長男で2歳になる男の子でした。

 

被害者家族はラーメンを食べに敦賀市に来ていたのですが、一人、車の中に残っていた男の子が車外に出たところを、1台の自動車が通り抜けました。

 

不幸なことに、自動車は男の子をはねてしまい、そのまま逃げ去っていきました。

 

現場に落とされたライトからはねた自動車の種類は特定され、延べ3万人の捜査員を導入して犯人の特定を急いだのですが、ひき逃げ犯人は見つかりませんでした。

 

 

遺族もチラシを配るなどして情報提供を求めたましたが、有力な情報はもたらされませんでした。

 

しかし2006年12月に事件は急展開を迎えます。

 

2001年12月に、同じようにひき逃げで我が子を失った奈良県の夫婦がメディア上で、もうすぐ時効を迎えるひき逃げ犯人に自首を呼びかけたのです。

 

この報道を見た敦賀の事件の犯人である末田登代彦が「自分も子供を轢いて逃げたことがある」とうっかり同僚に漏らしました。

 

このことから捜査が進展し、時効まであと2ヶ月半に迫っていた2008年1月29日に業務上過失致死の疑いで逮捕されました。

末田容疑者には福井地裁の判決で懲役3年6ヶ月を言い渡されました。

 

 

2、ブンリット・ジャンタプン

1996年3月24日、茨城県美浦町でタイ人の男女2人が殺される事件がありました。

 

殺された2人と金銭関係でもめていたブンリット・ジャンタプンなる人物が捜査線上に浮上したものの、ブンリットはすでに帰国し、その後行方不明になってしまっていたのです。

 

 

ブンリット容疑者には、タイ人の共犯者が二人おり、どちらも日本で逮捕され、服役しました。

 

一方、日本からの捜査協力を受けたタイ警察は、主犯のブンリット容疑者の行方を追っていたのですが、捜査は難航しました。

 

事件から約20年後の2016年1月にタイ警察はブンリット容疑者を見つけ出し、逮捕することに成功しました。

 

ブンリットは、なんとタイ北部にあるチェンライ県で現職の町長をしていたのです。

 

ブンリットは日本から帰国した後、捜査の手を逃れるために名前を変えて、一般の生活をしていました。

 

その後、ちゃっかり町長になり、地元ではなかなか評判のよい町長になっていたのです。

 

タイの法律では殺人事件の時効は20年なので、時効2ヶ月前の逮捕になりました。タイ警察の執念が実った事件だったと言えます。

 

 

レ・ミゼラブルのようなお話ですが、人を殺しているので同情はできませんね。

 

1、松山ホステス殺人事件

1982年8月愛媛県松山市内の山中で、当時31歳だったキャバレー・ホステスの死体が発見されました。

 

状況から同僚の福田和子が殺して山に埋めたものとして捜査が始められましたが、福田和子はすでに逃亡していました。

 

 

最初の逃亡先である石川県では、和菓子屋の主人と懇ろになり内縁の後妻として店を切り盛りしていました。

 

のちにプロ野球選手になる松井秀喜は小学生の頃、この店によく出入りしていたといいます。

 

福田和子逮捕後のインタビューで、「愛想のよい奥さんだった」と印象を語っています。

 

しかし、和菓子店の主人との結婚を頑なに拒絶する福田和子の態度に不信感を募らせていた家族が、松山の事件を知り警察に通報。

 

福田和子は逮捕されそうになりますが、自転車に乗って逃走します。

 

その後の逃亡生活で、福田和子は偽名を使って各地を転々としました。

 

 

愛媛県警は賞金を掛けて指名手配しましたが、何度も整形を繰り返していた「7つの顔を持つ女」は簡単に捕まりませんでした。

 

福田和子が逮捕されたのは事件から15年後の1997年7月29日のことでした。

 

当時は殺人事件にも時効がありましたが、その時効を迎えるわずか21日前のことでした。

 

確保された場所は、そのとき働いていた福井市のおでん屋でした。

 

テレビのワイドショーがもうすぐ時効を迎える殺人事件の容疑者である福田和子の肉声を頻繁に流していたため、おでん屋の常連客の一人が福田和子の正体に気づいたのです。

 

 

1999年、逮捕された福田和子は殺人罪で有罪となり、刑務所に収監されましたが、2005年、くも膜下出血で亡くなりました。

 



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