善悪の屑の元ネタになった衝撃事件5選

Pocket

善悪の屑の元ネタになった凶悪事件5選

5 スーパーフリー事件

善悪の屑・第3巻21話。強姦サークルの代表の一物を切り取り、それを肛門に突っ込んだ上、街中で放置するという復讐内容だった。

この事件の元ネタは2003年に発覚した、早稲田大学元公認サークルの「スーパーフリー」による集団強姦事件である。

彼らは純度の高いアルコールをサワードリンクに混入し、女子大生を泥酔させ、大人数で強姦をするということを頻繁に行っていた。

スーパーフリーのメンバーは実行に関係する「鬼畜班」とそれを手助けし後始末をする「和み班」とがあり、くだらないサークルの割にしっかりと役割分担がされていた。

この極めて悪質なグループの犯行の被害者は400名以上にのぼるとみられるが、実際に起訴されたのはたった3件、逮捕者は14名だけだった。

「スーパーフリー」のメンバーは早稲田大学の学生以外に、東京大学、慶應義塾大学、明治大学、法政大学、学習院大学、日本大学と多くの名門大学の学生が逮捕されている。
スー6

 

主犯格には実刑14年、他のものには10年から2年4ヶ月の懲役が課せられた。

4 八王子カリスマホスト失踪事件

善悪の屑・第4巻24話。ホストクラブの経営者が従業員を脅して金をとろうとしたところ、逆に殺害されるという話。
この事件の元ネタは「カリスマホスト殺人事件」と言われる事件である。

 

事の発端は2011年東京八王子のホストクラブ「t–got(ティーゴッド)」の経営者の土田正道・当時43歳が忽然と姿を消したことだった。
土田はこの時すでに殺害されていたのだが、土田という男には様々な悪い噂が絶えなかった上、敵も多かったため、多数の容疑者が浮上した。

 

しかし、事件は急展開を迎える。土田の店の従業員、阿部卓也の自宅の排水口から、被害者のインプラントの一部が見つかったのだ。

 

阿部は土田との間に金銭トラブルを抱えており、問題をこじらせた末、殺害してしまった。

 

阿部は土田を殺害後、遺体を強いアルカリ性の薬品とともに鍋に入れ煮溶かし、排水口に流し、残った骨は砕いて川に流した。
これをきっかけに、阿部の他に、土田とトラブルを抱えていた玄地(げんち)栄一郎らの共犯者5人が逮捕された。
ホス8

 

主犯の阿部は懲役20年を言い渡され、玄地は拘置所内で自殺した。

 

3 名古屋アベック殺人事件

善悪の屑・第4巻27話。カップルを暴行の末、殺害した未成年2人が懲役11年で出所。

これに納得のいかない、被害者女性の父と男性被害者の母が、元少年に同じように復讐を果たすという内容の話。
この話の元ネタは、1988年2月愛知県名古屋市緑区の大高緑地で発生した強盗殺人、集団暴行・強姦事件である。
理容師見習いの女性Yとその店の理容師だった男性Xは、デートに出かけた大高緑地公園の駐車場で男女6人の不良少年グループに襲撃された。
少年らは2人を車から引きずり出し、殴る蹴るの暴行を加え、現金を奪う。

 

グッタリした2人を車に乗せ、夜を待ち2人のうち男性の方をビニールロープで絞殺する。

 

その翌日女性も同様に絞殺して、2人の遺体を三重県伊賀市の山中に埋めた。
少年らは車から足がつき、任意同行された際に全てを自供、山中から遺体が発見された。

 

なご7

 

主犯格の二人は無期懲役で現在も服役中だが、そのほかの4人はすでに出所しているが、遺族の元に謝罪に訪れないどころか、賠償金の支払い命令も無視している。

2、附属池田小事件

善悪の屑4巻から5巻にかけて掲載の話。殺してくれと懇願する犯人に対し、カモが「ダメだねぇ、もう少し苦しんでから死のうか」というセリフが印象的だった。
この事件の元ネタは2001年6月大阪教育大学附属池田小学校で起きた痛ましい事件だ。
宅間守という男が凶器を持ち、小学校に侵入。次々と児童と教師を襲い、8名の児童を殺害、教師2名を含む15名にケガを負わせた。
宅間は他の教師らに取り押さえられ現行犯逮捕となった。
逮捕当初犯人は精神障害者を装っていたが、精神鑑定の結果責任能力ありと認められ、死刑が言い渡された。

 

事件の翌年犯人は死刑が執行されたが、最後まで被害者や遺族に対する謝罪の言葉はなかった。

いけ3
1、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件

善悪の屑3巻17話。犯人がこれまで行ってきた幼女への暴行数に年齢などをかけた数字196の数だけ切り刻まれ、バラバラ遺体にされた。

この事件の元ネタは1988年から翌年にかけて東京、埼玉で起きた幼女誘拐殺人事件である。

この事件は極めて異常性があり、犯行声明を新聞社に送りつけたり、被害者の遺骨を遺族に送るなどしたため海外からも注目された。

この事件の犯人宮崎勤は、八王子で別のわいせつ事件で被害者の父親に取り押さえられ現行犯逮捕された。

これにより、取り調べを受けている際に、連続幼女誘拐殺人事件への関与を認め、供述通りに死体が見つかったことで再逮捕。

 

第一審で死刑判決が下った。控訴したが、2006年に上告は棄却され、死刑が確定した。

 

2008年死刑執行。やはり最後まで遺族に対する詫びの一つも口にしなかった。

よう7

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。