ヤクザも恐れた昭和の伝説的アウトロー3選!ノンフィクションの激動人生まとめ




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3、加納貢

アメリカ軍の落とした焼夷弾によって焼け野原となった東京に、終戦と同時に現れたのは闇市でした。

人々は圧倒的なモノ不足の中、必要なものを手に入れるため闇市に行きました。

新宿に闇市が開かれたのは、昭和20年8月20日、ポツダム宣言受諾からわずか5日後のことといいます。

最初はバラック小屋さえなく、商人は地面に売り物を広げて売りました。

その新宿の地に生まれ、のちに「新宿(ジュク)の帝王」と呼ばれるようになる加納貢はこのときまだ20歳にもなっていませんでした。

しかし、無法地帯とした新宿の治安を守る用心棒として活躍しました。

暴力団組織とは一切関わりを持たない愚連隊を組織し、闇市を行き来する庶民のために、
盗みを働く者、それを必要以上に傷めつけるヤクザ、偉そうにのさばるアメリカ兵を相手に果敢に闘いました。

全ては正義のための暴力でした。暴力団のようにみかじめ料をとることはしなかったため、新宿の守護神と崇められました。

残念ながら、裕福な家系に生まれ金儲けをする必要がなかった加納と違い、
彼の舎弟の多くは生きていくために金儲けをする必要があり、彼の元を離れて暴力団員になりました。

加納はひとり財産を食い潰しながら己の理想を守りつづけ、2004年に新宿で亡くなりました。

2、安藤昇

新宿を仕切っていたのが加納貢なら、戦後の渋谷を支配していたのは安藤昇でした。

若い頃は少年院に送られたこともある不良少年でしたが、海軍航空隊に志願して特攻兵になりました。

しかし特攻兵になって間もなく終戦となり、除隊しました。

戦後、安藤は渋谷に東興行という会社を作りますが、この会社は賭博開帳などもするようになり、
次第に暴力団同様の組織になるため、一般的にはこの会社を安藤組と呼ぶようになりました。

安藤組は組員に背広の着用を推奨し、そのファッション性で中高生のあこがれの的となりました。

安藤組は最盛期には1000人を超える構成員を抱える団体になり、のちになる安部譲二も中学生のころ安藤組に出入りしています。

しかし安藤は殺人未遂罪で服役したのち安藤組を解散し、自叙伝を出して俳優に転向します。

端正な顔立ちと元暴力団組長という異色の経歴で人気になり、多くのヤクザ映画に出演しました。

2016年に亡くなったときには、梅宮辰夫、村上弘明、吉田佳子、岩城滉一などが発起人として名を連ねるお別れ会が催されました。

1、万年東一

昭和5年ころ、腕力に自信がある不良を集めて愚連隊を組織した万年東一は、しばらく他の愚連隊との喧嘩を繰り返しました。

昭和9年に新宿を縄張りにする愚連隊の山崎松男を襲撃して懲役2年執行猶予3年の判決を受けています。

戦争中、万年は陸軍の特務機関員として上海に渡り、そこで昭和の大フィクサー児玉誉士夫と知り合いました。

戦争が終わってからは労働争議や白木屋乗っ取りなどにかかわる一方、
総会での対応で企業を脅し雑誌への広告料を名目に金をせしめる総会屋業をメインに活動するようになります。

また、ときには他の総会屋を切り崩す総会屋として暗躍しました。

右翼団体を結成したり、全日本女子プロレスの会長になるなど、広い分野で活躍した万年でしたが、金には執着しませんでした。

万年の任侠道とは、自分は損をしても、困っている人、弱い人を助けることだったのです。

「平気で損ができなければ、たとえ組長でも任侠じゃない」というのが彼の信念でした。

安藤昇は自伝小説の中で、「愚連隊の神様」万年東一が戦前の不良の憧れの人物であったと語っています。

安藤が設立した東興行の社名は、万年東一の名前からとって付けられています。

戦後の日本の復興の影には、このようなアウトローたちの活躍もあったのです。




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