・タンボラ山の噴火
1815年、インドネシアにあるタンボラ火山が噴火し、1万人以上の人が亡くなった。
その威力はすさまじく、大爆発音は1,750キロメートル先まで聞こえるほどであった。
さらに、500キロメートル離れたマドゥラ島まで火山灰が到達し、3日間もの間、広範囲に暗闇をもたらした。
噴火が起きた年は火山灰に世界中が覆われたため、異常低温となり、農作物も育たず世界的な食糧危機に陥った。
さらに、この状況は翌年まで続き、翌年は1年中夏が訪れず「夏のない1年」と言われた。
・弾道ミサイル早期警報網の故障
1961年11月24日、警報網の故障により核戦争の危機が起きたのをご存じだろうか。
アメリカの戦略航空軍団が3つのミサイル拠点と通信出来なくなった。
ソ連からの攻撃を受けたと想定した、戦略航空軍団は爆弾を積んだB52のエンジンを温め始めた。
命令さえあれば、いつでもソ連を攻撃できる準備は整っていた。
しかし、ただの警報網の故障だという情報報が入り、今にも始まりそうだったソ連との戦争は回避された。
・太陽嵐
1859年、観測史上最も巨大な太陽嵐が起こった。
地磁気の嵐を引き起こし、これによって発生したオーロラがカリブ海沿岸など世界中で観測された。
また、磁気嵐に地球の電信機器がショートするなどの影響を及ぼした。
科学者は電信機器などテクノロジーに依存している現在、同じことが起こったとしたら、甚大な被害が出ることは間違いないと言っている。
送電網は溶け、あらゆる通信網は遮断される。
Nasaは大規模な太陽嵐は150年に1度起こると発表している。
実は2014年に大規模な太陽嵐が地球の傍をかすめていたのだ。もし直撃していたら、大パニックが起きていただろう。
・ノルウェーロケット事件
1990年代、科学者たちはノルウェー沖から観測ロケットを打ち上げ北極光の研究をしていた。
このロケットをロシアのレーダーが感知した。もしかするとロシアの軍事基地を狙っている可能性もあると判断された。
エリツィン大統領は判断するのに8分間という時間制限の中、報復攻撃をするかしないかの決定を迫られた。
幸運な事に大統領が決断をする前にノルウェーのロケットは海上に落ちた。
このとき、報復ミサイルと核ミサイルの発射を準備していたが、発射されずに済んだのだった。
・14世紀・ペストの大流行
ペスト菌に感染したネズミの血を吸ったノミが人の血を吸い、人に感染するペスト。黒死病とも言われる。
14世紀、この病気が流行し、世界人口を4億5000万人から3億5000万人にまで減少させた
発病すると、高熱が出て、リンパが大きく腫れる。さらに肝臓や脾臓に菌が繁殖し、死亡する。
グローバル化が進んだ現代に、この伝染病が発生した場合、伝染の速さは測り知れない。
・ボニージャ彗星
1883年、天文学者のホセ・ボニージャが2日間で447個の物体が上空を行きかう姿を観測した。
科学界に発表したが、他に目撃者がいなかったため、この出来事はすぐに忘れ去られた。
しかし、2011年、再度この発表に注目が集まり、恐ろしい事実が発覚した。
ボニージャ氏が観測したのは10億トンの巨大な彗星の破片だったのだ。
破片一つでも地球に落ちた場合、広島の原爆の1000倍の被害を与える威力がある。
しかも、そんな恐ろしいものが数百個も地球の500キロメートル上空をかすめていたのだ。
500キロというと、東京―岩手間くらいの距離だ。1つくらい当たってもおかしくなかったが奇跡的に当たらずに済んだ。
・スペイン風邪
1918年、世界の人口の3割の5億人が感染し、1億人が死亡するという、史上最悪のインフルエンザが大流行した。
このインフルエンザに感染した者の多くは気管支炎を起こし、肺に水がたまり呼吸困難で死亡した。
現代になっても、この病原菌についての調査は行われている。
その結果、スペイン風邪のウイルスは、現代のインフルエンザウイルスの30倍も早く増殖する能力を持ち、
強い致死性の肺炎と免疫反応の調節に異常を起こす病原性を持っていることが分かった。
・ラウルテラ・プランティコラ
1990年、生物学者が生ごみ処理をする商品開発の為、細菌を掛け合わせ遺伝子組み換えをした。
その細菌はラウルコラ・プランティコラという。実際に土壌テストしようとしたが、問題が発見され中止になった。
その後、この細菌が土壌を汚染し植物を殺してしまう事が発見される。
もし、土壌テストが行われ、この細菌が地球上に広まれば多くの植物が破壊され、私たちは飢饉に見舞われていただろう。
・キューバ危機
アメリカが、ソビエト連邦によるキューバの核ミサイル基地建設を防ぐ為、資材を積んだ船を通さないように海上封鎖を行った。
当時のアメリカ大統領のジョン・F・ケネディは、空軍に核兵器搭載を指示した。
当時のソ連も核兵器を保持しており、アメリカかソ連のどちらかが間違った判断をすれば核戦争が勃発していただろう。
それから、アメリカとソ連は水面下で交渉を続けた。この間、両国はいつでも攻撃を開始できる準備をしていた。
均衡を破ったのはフルシチョフ首相だった。
アメリカがキューバに侵攻しないと約束するならキューバからミサイル基地を引き上げると伝えたのだ。
これにケネディ大統領が応じ、核戦争は回避されたのだった。
・核兵器の誤警報
1983年、ソ連の戦略ロケット軍の中佐であったスタニスラフ・ぺフトフが核警報装置を監視していた時のことだ。
アメリカからミサイル攻撃ありとの警報をコンピューターから受け取った。
このときの彼は、誤作動と判断し、上層部に報告もせず反撃もしなかった。
もし上層部にこの事を報告していたら、ロシアは報復攻撃を仕掛け、核戦争に発展していただろう。
後に、この誤報は太陽光の影響で発生した誤作動だと判明している。
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