ワンピースの元ネタにもなった実在の海賊5選



Pocket

5、ウィリアム・キッド

赤い髪を波立たせ ゴーグルを着用してコートを羽織った、キッド海賊団の船長 ユースタス・キッド。

 

 

彼は磁力を操る悪魔の実MIの能力を持ち、周囲の金属を自在に操る大男でした。

 

異名は「キャプテン・キッド」。

 

歴史上の「キャプテン・キッド」といえば、17世紀スコットランドの海賊 ウィリアム・キッドのことです。

 

初めはヨーロッパ・アフリカ・アジア・アメリカと世界中を股にかけ海賊退治に力を貸していました。

 

その後自ら海賊船の船長として海賊行為をするようになっていきます。

 

海賊退治と海賊行為を同時に行っていたウィリアム・キッドですが 最終的に部下から裏切られ、協力者にもだまされて逮捕されてしまいます。

 

最後は、ロンドンで死刑になりました。

 

 

4、フランシス・ドレーク

ドレーク海賊団の船長X・ドレークは 元海軍 本部少将という異色の経歴を持つ海賊です。

 

 

X・ドレークの名前は 実在した海賊 フランシス・ドレークから採られたものだそうです。

 

フランシス・ドレークは17世紀のイングランドの海賊で、イングランド人として初めて世界一周をした人として知られています。

 

世界一周をしながら海賊行為で獲得した金銀財宝を当時の女王エリザベス一世に献上したことで、「Sir」の称号を受けるとともに海軍の将校に任命されました。

 

1588年、提督フランシス・ドレークに率いられたイングランド艦隊は 当時「無敵艦隊」と呼ばれていたスペインの艦隊を撃破し、

 

その後の大英帝国発展の基礎を築きあげました。

 

マンガでは海軍から海賊になっていますがモデルになった人物はその逆の経歴だったようですね。

 

 

 

3、エドワード・ロー

元王下七武海で「死の外科医」の異名をとる、ハートの海賊団船長トラファルガー・ローの名前は実在した海賊 エドワード・ローから借りてきたものです。

 

エドワード・ローは妻を出産でなくしたあと海賊船に乗り、やがて船長になってカリブ海などを舞台に海賊行為を働きます。

 

エドワード・ローを有名にしたのは、彼の残虐な振る舞いでした。

 

捕虜を殺すときは必ず拷問してからだったといいます。

 

捕虜をマストに吊るし、死にかけたらいったん降ろして回復させ、また吊るしあげるというようなことをしていたのです。

 

また彼の海賊スタイルはニセの旗を掲げて商船に近づくという卑劣なものでした。

 

彼の最期についてはよく分かっていません。

 

 

フランスで捕らえられ死刑判決を受けて執行されたという説もあれば、

 

ブラジルに向かう途中で船が沈没したという説もありますが、

 

それらを証明するものは今のところ何も見つかっていません。

 

2、フランソワ・ロロネー

 

ルフィの仲間で三刀流の剣士 ロロノア・ゾロの名前は17世紀半ばのカリブ海の海賊フランソワ・ロロネーから採られています。

 

 

英語風に読むと、フランシス・ロロノアです。

 

本名はジャンダヴィッド・ノーと言い、フランスの貧しい家の出身でした。

 

若い頃に年季奉公人としてカリブ海に送られたロロネーは、いつしか海賊の一員になります。

 

最初は海賊船の一船員にすぎなかったロロネーは、刀を扱う技術と度胸の良さで頭角を現し、海賊船の船長の地位にまでのし上がりました。

 

ロロネーはとても残忍で、捕虜は全員殺し、陸に上がれば住民を拷問・虐殺したといいます。

 

その一方、気前の良さから多くの人に愛される人物だったとも伝えられています。

 

 

1、チュイ・アプー

 

オンエア海賊団の船長 スクラッチメン・アプーは中華風の服装に辮髪のようなスタイルの大男です。

 

 

この名前と見た目は19世紀の清の海賊チュイ・アプーにインスパイアされています。

 

アヘン戦争でイギリスに敗れた清国は、香港をイギリスに割譲することになりました。

 

そして、大英帝国をけん引する東インド会社の船団が香港に出入りするようになったとき、彼らを悩ませたのがチュイ・アプーの海賊船でした。

 

 

海賊船といっても小型の帆船にすぎず、蒸気船の技術を持つイギリスから見れば とるに足らないものでした。

 

しかし、ゲリラ的にヨーロッパの商船を攻撃していたため、しばしの間イギリスをてこずらせました。

 

海賊と言えど、貿易の名のもとに母国・中国を侵略しようとする国々が許せなかったのでしょう。

 

結局、イギリスの反撃で壊滅的な損傷を受け、チュイの海賊団たちの多くが殺されてしまいます。

 

チュイはなんとか逃げることができましたが、密告でイギリスの官憲に逮捕・投獄されます。

 

イギリスの法律に従って流刑の罰を受けることになったチュイ・アプーでしたが、名誉の自殺で無言の抗議をする道を選びました。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です