5、石巻3人殺傷事件
この事件は2010年2月10日に宮城県石巻市で犯行当時18歳だった千葉祐太郎が元交際相手の少女Sを巡り、少女の親族や知人3人を殺傷した殺人事件である。
千葉は当時17の無職の少年Bを連れ、交際していた18歳の少女の実家に侵入。
持っていた刃渡り約18cmの牛刀で「Sの姉」と「Sの友人」を突き刺し殺害。
さらにその場にいた「姉の友人男性」の右胸を刺して大けがを負わせた。
恐怖に怯えるSの左脚を刺し無理矢理車に乗せ現場から逃走するも、未成年者略取と監禁の容疑で現行犯逮捕。
Sは交際当時から千葉からひどい暴力を受けており、警察や家族に何度も相談していた。
しかも事件発生の前日に千葉がSの実家に押しかけ、Sの姉に通報されパトカーが駆けつける騒ぎとなっていた。
この騒ぎの翌日にこの惨劇は起きた。翌日だけでも警備をしていれば、と悔やまれる事件である。
この事件は、裁判員裁判制度成立後初めて死刑判決が下された少年犯罪となった。
4、光市母子殺害事件
これは1999年4月14日に山口県光市で発生した少年犯罪事件だ。
当時18歳だった犯人の大月孝行は山口県光市内の社宅アパートの1室に住む主婦を強姦する目的で部屋へ侵入。
配管業者を装って家に侵入した後、女性に馬乗りになって強姦しようとしたが激しい抵抗を受けたため、首を絞め窒息死させ、強姦した。
そのうえ、近くで泣き叫ぶ生後11カ月の長女を床にたたきつけるなどした上、首にひもを巻きつけて窒息死させる。
事件から4日後に逮捕された大月は殺人・強姦致死・窃盗の容疑で起訴されたが、未成年による犯罪だったため裁判が長期化。
13年後の月日が経った2012年、ついに死刑判決が下された。
3、市川一家4人殺人事件
1992年3月5日千葉県市川市で発生した強盗殺人事件。犯行当時19歳だった関光彦は以前から傷害、強姦致傷、窃盗を繰り返していた。
事件が起こる一か月ほど前、当時15歳の女子高生の乗る自転車に関の車が追突。
軽いけがを負った女子高生を病院に連れて行ったのちに、ナイフで脅して強姦。
女子高生の生徒手帳から住所と名前を知り、「バラしたら殺す」などと脅してから帰宅させた。後に強姦目的で轢いたことが発覚している。
その日、以前フィリピン人ホステスを強姦していたことで暴力団に呼び出され、リンチの後、200万円を請求される。
それから1か月の間、車で逃走生活を送るようになった。
事件当日、暴力団に払う金のために、以前強姦した女子高生の家族から金を奪うために彼女の自宅に侵入。
一家4人を次々と殺害。父親の通帳を奪ったが、欲が出て父親の会社の通帳までも要求。
女子高生に会社まで取りに行かせた。このとき会社の社員が警察に通報したため、関は逮捕された。
女子高生も殺されかけたが、数回刺されたところで、奇跡的に警察に助けられた。
これだけ残忍な犯行であるにもかかわらず、逮捕当時、関は「これで俺も少年院デビューか」と話していたという。
当然、その目論見は外れ関には死刑判決が下された。これは平成の少年犯罪で初の死刑確定事件となった。
2、正寿ちゃん誘拐殺人事件
1969年9月10日東京渋谷区で当時6歳の横溝正寿ちゃんが小学校に登校中、何者かに誘拐された。
犯人は当時19歳の黒岩恒雄という人物で、正寿ちゃんの後ろから声をかけ振り向いた途端に腹部を殴ったのち、抱きかかえ逃走した。
その日の夜遅く犯人から「ガキは預かっている。500万円を用意しろ。」と身代金を要求する脅迫電話があった。
この脅迫電話があった直後の深夜12時頃に、渋谷署近くで職務質問された黒岩が子供用の靴片方を持っていたために緊急逮捕された。
残念ながら正寿ちゃんはすでに亡くなっていた。黒岩は正寿ちゃんが泣き止まなかったことにいら立ち、小刀を胸に刺して殺害。
連れ去ってからわずか6、7分のことであったという。
逮捕から9年後の1978年1月に死刑が確定し、翌年10月に死刑が執行されている。
1、大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件
1994年9月28日から10月7日までに大阪府・愛知県・岐阜県の3府県で発生した事件。
これは少年グループによるリンチ殺人事件の中で最も凶悪な事件と言われている。
3
この事件には8名の未成年が関与しており、主犯格はKM、KA、HMの3名である。
まず、大阪で、主犯格のうちの2名であるKMとHMが元すし店員に因縁をつけ、監禁・暴行後、首を絞めて殺害。
死んだことを確認するためタバコを体に押し付けるという残忍な行動を取っていた。
この大阪事件から8日後。地元の遊び仲間の建設作業員の22歳のBがグループの元へシンナーを届けるために訪れた。
Bは以前自分の女友達がKMに強姦されたことを恨んでいたため、KMと対面するやいなや殴り合いの喧嘩となる。
しかし、BはKMをはじめとするメンバーにビール瓶や棒で殴打された後、長時間に渡りリンチされ意識不明となる。
最終的には死亡させたうえ木曽川河川敷に遺棄し、遺体にシンナーをかけ着火して逃走。
3件目の事件では金欲しさに同級生2名に因縁をつけ、顔面を殴打するなどの暴行を加え金品を奪った上、金属パイプで全身を滅多打ちして殺害。
死因は全身の血管が裂け大量出血したために失血死、という凄惨なものであった。
主犯格の3人は犯行当時未成年18~19歳であったが、あまりにも凶悪な事件であったために、3人全員に死刑判決が下された。
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