赤城神社主婦失踪事件
1998年5月3日、千葉県白井市の主婦志塚法子さん当時48歳が、家族で群馬県の赤城神社へ、ツツジ見物に訪れていた。
あいにくの雨のため、神社へ行く夫と叔父以外は駐車場に停めた車の中で待つことに。
しかし、しばらくして法子さんは「折角だから、賽銭をあげてくる」と参道を登っていった。
これが法子さんの最後の姿となる。
神社の周辺には迷うような道や、転落する危険のある崖などもないが、法子さんはいなくなった。
警察による聞き取り捜査も行われたが、目撃情報も得られていない。
失踪から7か月後、失踪当日に赤城神社で偶然ビデオを撮っていた人から、ビデオテープがテレビ局に届いた。
そのビデオには法子さんと思われる人物が、何者かに傘を差しだすような姿が小さく映っていた。
しかし、その人物からの申し出もなく、特定をすることもできず、未だに法子さんは発見されていない。
山梨19歳女性行方不明
2008年、東京都江戸川区に住む19歳の女性、石田佳奈子さんが山梨の山中で行方不明になった。
行方不明になる前、佳奈子さんは、出会い系サイトで出会った塩野直樹という男と会っている。
この男は覚せい剤の常習者で、出会い系サイトで「一緒に冷たいのキメない?」と女性を誘うのが常套手段だった。
その誘いに佳奈子さんは応じてしまい、事件に巻き込まれてしまった。
2人は東京都の亀戸で会い、塩野の地元である青梅市に向かい、その途中、佳奈子さんは覚せい剤を打たれた。
佳奈子さんから警察に助けを求める電話が何度かあり、電話から位置などが割り出され、塩野は逮捕されるが佳奈子さんは一緒ではなかった。
塩野は、「佳奈子さんに覚せい剤を注射したら急に暴れだして、走り去っていった」と証言している。
佳奈子さんの所持品は携帯電話以外、その時履いていたブーツを含め見つかっているが、
佳奈子さんと携帯電話は未だに見つかっていない。
松岡伸矢くん失踪事件
1987年3月7日、茨城県に住んでいた松岡家は、祖母の葬儀に参加するため、実家のある徳島県の親戚の家を訪れていた。
午前8時頃、伸矢君の父・松岡正伸さんが、伸矢くんを含む子どもたちを連れて近所に散歩へ出かけた。
一回りし、正伸さんは、家の前にある10mほどの石段を伸矢くんが登って来るのを見て玄関に入り、抱っこしていた次男を妻に渡した。
その後、すぐ外の石段に戻ると伸矢くんはいなくなっていた。
その間はわずか20秒あまりであった。
近くを探してみたが伸矢君の姿はなかった。
すぐさま、親戚や村の消防団を動員し、辺りを捜索したが、見つかることはなかった。
失踪から10日後、親戚の家に留まって伸矢くんを捜索していた妻に、不審な電話がくる。
伸矢くんの姉の通う成蹊幼稚園の「ナカハラマリコの母」と名乗る人物からであり、内容は見舞金を渡したいのだが、いつ戻るのか?というものだ。
しかも、なぜか親せき宅の電話番号を知っている上に、徳島弁を話していた。
このときは忙しく、気にも留めなかったが、後から幼稚園に聞いてみると見舞金を集めた事実もなく、ナカハラマリコという生徒も存在しないという。
当時の技術では、この電話の発信元をたどることもできず、手掛かりとはならず、未だに伸矢くんは見つかっていない。
岡山地底湖行方不明事件
平成20年の1月5日、岡山県新見市豊永赤馬にある日咩坂鍾乳穴(ひめかなちあな)の地底湖に、高知大学探検部の学生5人が訪れ、そのうちの1人が地底湖を泳いでいたところ行方不明となった。
その後の通報で、警察が捜索を開始。二次災害の危険がある中、地底湖内も捜索したが見つからなかった。
この事件には、不審な点がいくつもある。
市の教育委員会に出さねばならない入洞届を提出してない。探検部としておかしいと言える。
地底湖を訪れた5人のうち、泳いだのは一人だけで溺れるところを誰も目撃しておらず、状況説明も、ちぐはぐ。
自分たちで捜索することも、現場に誰かを残すこともしていない。
遭難事故では慣例の隊長による記者会見をせず、取材も拒否し、探検部のHPから「部長」「副部長」の名前を削除。
何者かが、被害者のmixiに勝手にログインしてプロフィールを改竄し日記を全て削除。
探検部内は男15名、女10名で恋愛トラブルが多かったそうだが、その面からの捜査はゼロ。
これらの点からネット上では事故ではなく、事件だと言われているが、真相は未だに不明だ。
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