第5位 北の湖・951勝
13歳で初土俵を踏んだ北の湖は中学卒業前に幕下まで昇進し、18歳で幕内力士になり、
1974年に21歳という若さで横綱の地位にまで上り詰めました。これは今でも横綱昇進最年少記録です。
それからは、前年に横綱になっていた輪島と二人で6年に及ぶ輪湖時代を築きました。
幕内優勝回数は北の湖が24回、輪島が14回です。
しかし、輪島は人気者の力士だったのに対し、北の湖は人気のある力士ではありませんでした。
土俵の上でのふてぶてしい態度や、体重170キロの巨体のせいもありましたが、一番の理由は強すぎたことでした。
年間最多勝を7回受賞し、32連勝を記録した「憎らしいほど強い横綱」だったのです。
北の湖は大相撲最強のヒールとして951勝350敗の記録を残しました。
第4位 大潮・964勝
口元まで伸びる長いもみあげで人気があった大潮は、初土俵から10年近くかけてやっと入幕した遅咲きの力士です。
幕内上位まで上がると負け越す大潮でしたが、小結になったことがあります。
31歳で幕下まで番付を落としたとき、大潮は引退ではなく、相撲を取りつづけことを選びました。
それから1年半掛けて幕内に戻ってきて、3年間前頭にとどまりました。
一度十両に落ち、最後の返り入幕は1984年、大潮が36歳のときです。その後は番付を少しずつ落としながらも相撲を続け、40歳になったところで26年の大相撲人生にピリオドを打ちました。
大潮の成績は964勝927敗です。通算勝ち星数では第4位、通算負け星数では旭天鵬、寺尾に次いで第3位です。
ちなみに、通算出場回数1891番は大相撲記録になっています。
第3位 千代の富士・1045勝
鋭い目つきとトレーニングで鍛えた筋肉質の体からウルフというニックネームで呼ばれた千代の富士は、
それまで絶対王者として君臨していた北の湖を倒して横綱になり、大相撲の新時代を築きます。
立合いの鋭い踏み込みから豪快な上手投げで勝負を決めるまでのスピーディーな取り口で、絶大な人気を誇る横綱でした。
若い頃は肩を脱臼する癖があって一時はプロレス転向も考えた千代の富士でしたが、
肩の周りに筋肉をつけることで克服し昭和から平成にかけての大横綱となり、国民栄誉賞も受賞しています。
しかし1990年に当時前人未到の通算1000勝を達成してから低迷し、翌年初顔合わせとなった新鋭の貴花田に敗れて引退を決意しました。
引退時の通算1045勝は当時の最多勝利記録でした。
第2位 魁皇・1047勝
上手からの豪快な投げで観客を沸かせた魁皇は10年以上大関を務め、一度も陥落することなく引退しました。
大関在位中に4度の優勝を経験していて、何度も綱取り目前まで迫った力士です。
昭和63年に初土俵を踏んだ同期の曙や貴乃花、若乃花のように横綱になることはできませんでしたが、
同期が次々と引退していく中、魁皇だけは相撲を取りつづけ勝ち星を積み重ねていきました。
そしてついに2011年の名古屋場所で、当時の記録だった千代の富士の1045勝を抜き、
通算1047勝にまで達しましたが、その場所限りで引退しました。
幕内在位107場所、大関在位65場所は、いずれも大相撲記録となっています。
第1位 白鵬・1064勝
15歳で来日したときの白鵬は体が小さかったため、受け入れてくれる相撲部屋がなく帰国しなければならなくなりました。
しかし帰国することになっていた日の前日に旭鷲山が話をつけて、なんとか宮城野部屋に入門することができました。
入門してからの白鵬は、よく食べよく稽古して、体を大きくしながら順調に番付を上げていきます。
19歳で新入幕を果たしたあとも日に日に力をつけ、大関の地位で3回優勝して、2007年に22歳で横綱になりました。
それから10年以上のあいだ、白鵬は絶対的な強さを誇る横綱として角界に君臨しています。
2017年末までに幕内優勝40回、通算勝利1064勝、幕内勝利970勝を記録するなど、すでに数々の大相撲記録を塗り替えています。
備考)
輪湖時代: りんこじだい
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